観劇の感想

雪組「ハリウッド・ゴシップ」作品の感想〜起承転結のバランスと多様性の描き方

こんばんは、ヴィスタリアです。

KAATで上演された雪組「ハリウッド・ゴシップ」前楽を観劇しました。

雪組生の大熱演とレベルの高い舞台、専科生の熟練の芝居に大感動しました。

いつもの通りヴィスタリアの独断と偏見と偏愛に満ちた感想を書きましたが、1回限りの観劇だったこともあり見落としなどあるかと思います。

まずは作品についての感想からまいりますが、作品の内容に触れておりネタバレに該当することも書いております。

「ハリウッド・ゴシップ」はもう一つの「雨に唄えば」

1920年代のアメリカの映画産業に関わる人々を登場人物に、トーキー映画ーーそれも歌と踊りのあるミュージカル映画を題材にした作品を昨年も宝塚歌劇で観劇しました。

月組「雨に唄えば」です。

「雨に唄えば」はコメディ要素が強めのハッピーエンドのラブストーリーですが、
「ハリウッド・ゴシップ」は明るさのあるエンディングを迎え、主役のコンラッド・ウォーカー/彩風咲奈エステラ・バーンズ/潤花のコンビはハッピーになるものの、すべてが大団円ではありません。

舞台のエンディング近くで唐突に投げつけられるウォール街の大暴落という不穏な単語が示す、世界大恐慌から始まる世界的な不況と戦争。
そして明るい未来を想像しにくい登場人物たち。

罪を犯したコンラッドのエキストラ仲間 マリオ・コスティーニ/煌羽レオは、
心身に傷を負ったハリウッドのスタージェリー・クロフォード/彩凪翔は、
世界恐慌の煽りを食らったエンパイア・フィルム社のプロデューサーハワード・アスター/夏美ようは、
再び映画に主演にする一発逆転の夢が潰えた往年の大女優アマンダ・マーグレット/梨花ますみは、彼らの人生に訪れた不遇をどう乗り越え、この先の厳しい時代をどう生きていくのか。

雪組生の大熱演、レベルの高い演技が光っているからこそ、描かれないその後を思うと胸のあたりがざわざわしました。

起承転結のバランス。そして描ききれなかったもの

今回「ハリウッド・ゴシップ」を予習なし、そして観劇された方の感想も薄目、遠目に眺めてほぼ前情報なしで観劇しました。

ストーリーがどう運ばれていくのか、熱演とていねいに歌われる曲、華やかな劇中劇に魅せられぐいぐい惹きつけられました。

起承転結で言うのなら、「起承」は描かれ方が非常に丁寧で、「転」は意外な方向に進んで驚きました。

ストーリーの導入ともいうべき「起承」は公演解説で書かれていることに該当します。

映画スターを志しながらもチャンスに恵まれないコンラッドは、これを最後にと、新人発掘を謳う大作映画のスクリーンテストに臨む。

しかし主演に選ばれたのは今をときめく若手スター、ジェリー・クロフォード。新人発掘の謳い文句は単なる話題作りだったのだ。

その事実を知ったコンラッドは、怒りに任せスタジオへ。
だがそこで、彼は往年の大女優アマンダに見出される事となる。
彼女はコンラッドに、スターになるための演技や身のこなし、更には、聴衆の目を惹きつける“秘策”をも伝授するという。

そんなアマンダにはある思惑があった。
それは彼女を踏み台にしてスターとなったかつての恋人、ジェリーへの復讐。

やがて、スターの素養を身に付けたコンラッドは、アマンダと共に先の映画の制作発表会見へと乗り込んで行く。

そこにはジェリーの新たなロマンスの相手と噂される無名のヒロイン、エステラの姿も。

驚く彼らを前に、コンラッドはでっち上げの“ゴシップ”を披露し、悲願であったスターへの道を歩き始めるのだが……。

ストーリーが大きく動く「転」はストーリーの意外性と新鮮さがあると同時に、人物たちの悲劇や心の揺らぎが非常に見応えのある演技で表現され、この作品世界へと一層引き込まれました。

マリオ/煌羽レオの犯した罪とジェリー/彩凪翔の脆さが悲劇を生み、アマンダ/梨花ますみは大きなものを失うことになり、
そしてコンラッド/彩風咲奈は傲慢さゆえに孤独を痛感することになります。

描かれるのはハリウッドで彼らが掴んだ栄光と転落、あるいは挫折の物語なのです。

では転落あるいは挫折を味わった彼らはどうなるのかという、起承転結の「結」があまりにも短く唐突すぎたのがひっかかりました。

「結」はハリウッドのゴシップ紙のコラムニストキャノン・チェイス/愛すみれのナレーションでもたらされ、それは「ウォール街の暴落」で世界が一夜にして変わってしまったことが伝えられます。

観劇直後はこの短いナレーションで急速に結末へとストーリーが収束していくことと世界大恐慌が重なってうまいと思いかけたのですが、観劇直後の興奮が静まってくると「置いてけぼりをくっているのでは?」と気がつきました。

「転」でコンラッド/彩風咲奈エステラ/潤花に「ジェリー/彩凪翔を悲劇に陥れるよう裏で手を引いていた」という誤解をうけます。

その誤解がいつどのように解けたのか、2人の距離がどのように縮まってハッピーな結末を迎えたのかが描かれておらず唐突な印象を受けるのです。

起承転結の「起承転」までに多くの時間が割かれており、「結」が唐突かつ弱いように思いました。

そして多くの時間を割いているはずの「起承転」でも描き切れていないことがあるように思いました。

まずエステラ/潤花は思いやりと機転と聡明さを兼ね備えたヒロインだと思うのですが、彼女がどのようにしてコンラッド/彩風咲奈に惹かれていったのかが描かれていないのです。

またエステラを見出したのはジェリー/彩凪翔で、彼が撮影でたまたま訪れたダイナーのウェイトレスをしていた彼女を見出したというシンデレラストーリーのエピソードは語られるものの、
ジェリーがエステラをどう思っていたのか、エステラがなぜジェリーを気遣うのかが描かれておらず関係性が希薄に感じました。

多くの時間を割くのであれば主要な登場人物の感情に寄り添えたり、気持ちの変化を辿れるような場面がほしかったです。

ほかにもアマンダとジェリーの関係、キーパーソンとも言うべきマリオのエピソードなど描いてほしいものがありました。

男(役)、女(役)である前に人間である 宝塚歌劇における多様性の描き方

これは本筋とは関係のない話かもしれませんが、印象に残ったので書き残しておきたいと思います。

宝塚歌劇を見ているとマイノリティの描き方が画一的なことが気になることがあります。

たとえば「壬生義士伝」の日本を来訪したビショップ夫人のような「外国人」というマイノリティ。
「オーシャンズ11」のハロルドのような「ゲイの業界人」というマイノリティ。
「カンパニー」の田中乃亜ような「シングルマザー」というマイノリティ。

今作にはアマンダの執事のピーウィー/真地佑果という黒人が登場するのですが、彼の描き方に宝塚歌劇におけるマイノリティの描き方の新しさを見たように思います。

アマンダ/梨花ますみコンラッド/彩風咲奈にスターの素養を教え込むなかでタンゴを踊れるようにと、レッスンの相手にピーウィーを指名するのです。

コンラッドは最初は戸惑いながらも、完璧で洗練された物腰を身につけたタンゴの名手であるピーウィーと対等に踊ってみせます。

ショーなどの男役同士のデュエットダンスとは違う、芝居において男役と男役が組んで対等に踊るというのが非常に新鮮であると同時に、ピーウィーという人物へのリスペクトがあると思いました。

この男役同士のタンゴはフィナーレに引き継がれ、ドレス姿の娘役さんと黒燕尾の男役さんが組んで踊る中、凪様(彩凪翔)あがたくん(縣千)が黒燕尾で組んで踊るのですが、デュエットというよりはセッションという感じで最高にかっこよかったです。

宝塚歌劇は女性だけで演じるので男役が演じるのは現実の男性ではありませんし
娘役もまた現実の女性ではなく、性自認や性指向から笑いを取りやすかったり演出家の先生が画一的なイメージを持っているのかしらと感じることがあります。

今回のピーウィーとコンラッドのタンゴ、フィナーレの凪様とあがたくんの黒燕尾のセッションは宝塚において男や女である前にまず1人の人間であるというジェンダーフリー、あるいは多様性が見られた、というふうにヴィスタリアは捉えました。

いろいろと書きましたが、最初に書いた通り熱演とレベルの高い舞台に大感動した観劇でした。
すばらしい舞台を作り上げたキャストについては次の記事で書きます。

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