こんばんは、ヴィスタリアです。
生田大和先生が語る「シルクロード」
スカイステージのタカラヅカニュース内のStage Side Watchというコーナーに生田大和先生が登場され
ご自身の初のショー作品「シルクロード~盗賊と宝石~」について大いに語っておられました。
このコーナーに演出家の先生が登場されるのを初めて見ましたし、
演出家の先生ご自身が上演中の自作について語るのも異例のことではないでしょうか。
生田先生の淡々とした語り口の明晰なお話がとても興味深く、次の観劇のよき手引になってくれそうだと感じましたので一部抜粋してみます↓
望海さんと真彩さんのサヨナラ公演であること自体が僕にとってはテーマで、
それと希望を見出す道のり、それを誰かに引き継ぐ、世界に広げていくというイメージで作品を作ったのが出だしだったと思います。砂は我々の人生でとるに足らないものの最小単位としてある、ですが、
砂の方が我々より長生きかもしれなくて(中略)、砂がロマンチックなものに感じられまして、
砂が何を見てきたのか、時間そのもののように感じられて、砂時計がロマンチックな発明だなと。いろんな場面あったらいいなと思う中で、場面の方向性は統一しようと思ったのは、インドの神話に出てくる蛇のようなものですね。
ウロボロスという、はじめと終わりが一貫しているというか。2章 シルクロード幻視は、砂の下に埋まってしまってこの世には存在しない人々の恋の始まりであり、そしてまた歴史の中に消えていく姿を描くことで始まりと終わりが一つであることを表している場面になるのかなと。
この作品世界の中ではあの人たちが(彩風咲奈・朝月希和)がホープダイヤモンドの最初の所有者であり、
最初と最後と出会いと終わりと過去とそこで起きた現実と、メタ的には雪組の未来を込めていて、芝居ではできないドラマの時間軸の歪を意識した作りになっています。
幕開きから舞台の中央に据えられた砂時計にはそんな思いが込められていて、
だからこそ砂時計が壊れていて古今東西の様々な記憶がこぼれるように展開していくのかと腑に落ちました。
(4章 インド・神々の饗宴)
望海さんがヴィシュヌ神で真彩さんがラクシュミーということになっていますが、
インド神話はある神様が別の神様でもあったり、他の神話に登場する人物がその神様の化身であったりということがあるので、日本においても見られますけれども。ラクシュミーというの女神のアバターの1つがシータという「ラーマーヤナ」に出てくる王女ですね。
そのシータの左目がホープダイヤモンドということになる――完全に裏設定ですね、表に出していませんけれども。
そこから始まったホープダイヤモンドの伝説がテーマになっていますから、中詰はインドの神様でやっていこうと思っていました。望海さん演じるヴィシュヌ神のアバターが「ラーマーヤナ」の主人公ラーマーでして、
ラーマとシータがそのままヴィシュヌとラクシュミーにすり替わったのが中詰のインスピレーション源です。
この裏設定というワード自体が演出家の先生から出てくるのがおもしろかったですし、
豪華で華やかでうんと凝った衣装が目にも鮮やかな中詰が一層楽しめます。
この場面のきぃちゃんの赤系のお衣装とかわいらしい雰囲気が好きなのですが、
彼女の左目があの青いホープダイヤモンドだったなんてなんとロマンチックなんでしょう。
(5章 中国・蒼く燃え立つ、緋き夜)私と望海さんの関わり合いの中で、私のデビュー作「BUND/NEON 上海」の大世界(ダスカ)というクラブの場面がありまして、
(中略)シルクロードは本当は上海には行かないですが、中国を舞台にするならそういう上海的なところで作れたらいいなというのが発想のルーツです。(音楽は)フランスの、エレクトロスウィングというですかね、キャラバンパレスというバンドが作られた曲で、
もともとの内容は英語の歌詞で「リズムにのって踊りましょう」みたいな内容なんですが、ラップなので真彩さんに歌ってもらって、
望海さん率いる男役たちに踊ってもらうのが単純にかっこいいんじゃないかと思って作りました。ラップは宝塚の歌唱とそんなに相性よくないと思われがちで韻を踏むだけでは作れないと思うんですけれど、
きちんと校正したらラップとして成立するんじゃないかなと。男役はふだんの自分の声とは違う、作った声でラップをするのは難しいんですけど、真彩さんの歌唱技術があってこそ成立できているというか、
「こういうこともできる」というのも見せることができたらいいなと思ってやってもらっています。
この「大世界」の場面があまりにもかっこよくて退廃的な色気が漂っていて、
曲もきぃちゃんの歌唱も振付もかっこよくて大好きなのですが、
その出発点が生田先生の単純にかっこいいというところから来ているのに「わかりすぎるほどわかる」と深く同意しました。
ではその単純さを突き詰めて美学を追求するとどうなるか、
望海風斗という男役にしかできなくて
真彩希帆という娘役だからこそ歌で表現できるものかなにか、
という至高のものがあの場面に凝縮しているのではないでしょうか。
そのシンプルな出発点からものすごい高みへと生田先生は、雪組生は連れていってくれます。
またラップに生田先生が並々ならぬ思いがあるのが興味深かったです。
花組「CASANOVA」でもベアトリーチェ/仙名彩世とジャコモ/明日海りおがラップ調のナンバーを披露していました。
あれはおそらく生田先生の肝いりだったのでしょう。
(7章 フィナーレ)1人の男役人生、その男役が歩いてきた道のりとして今作のフィナーレナンバーを捉えるのならば、
「シルクロード」のフィナーレナンバーだけじゃなく望海風斗さんのフィナーレなんですよね。今まで歩んできた道のりを振り返ったらどうなるのかな、その中ではきっといろいろな出会い、葛藤、人との関わりがあったと思うんですよね。
そういうことを表現したいと思いまして、青い薔薇は夢が叶うとか憧れとか不可能を可能にするとか、そんな思いを込めて持っていただいたわけですけど、いつしか娘役たちが関わり、
さらに男役たちが出てきてそのなかのリーダになっていて、自分が抱えてきたものを次の人に託して去っていくというストーリーが振付になっているというか。曲はインストゥルメンタルですが「All the way」の歌詞をあらためて読んだときに、この曲にこめられたメッセージがふさわしいんじゃないかと使わせていただいております。
デュエットダンスは「時には昔の話を」にたどりについたのは最後の最後で、いまの雪組はとても素敵だと思うのでできれば永遠にしたい、でもできないですよね。
(中略)だったらその未来に、いまの話ができたらいいなと選びました。
さらりと聡明な語り口で語られたこの言葉に胸をつかれました。
生田先生はいまを永遠にすることではなく、いまが昔になっても変わらないものがあることを選曲に込めているんですね。
ストーリー性のあるショーとフィナーレを分かつような印象的な照明の演出といい、
その光のなかに浮かびあがるのぞ様が初舞台の月組「シニョール ドン・ファン
のトップスター紫吹淳さんと同じポーズをされていることといい、
羽山先生の振付を思い浮かべると今まで歩んできた道のりを表しているのがよくわかります。
たっぷり解説してくれた生田先生の最後の言葉は「作品は演じる役者のみなさん、なによりご観劇いただいたお客様お一人お一人のものかなと思います。何卒ご自由に楽しんでいただけましたら作者冥利に尽きます」でした。
のぞ様を愛するヅカ友さんが「いつかこのショーを再演してほしい」と言っていて、
自分はそのときは贔屓の、それもトップスターの退団公演は特別だからそのまま封印したいものな気がするけれど…と感じていました。
しかし何度か見て(映像含めて)咀嚼するうちに、
「シルクロード」の古今東西で繰り返されてきた人間の営みがテーマになっていること、
フィナーレが生徒さんの過去の振り返りであり未来から現在を見つめていることの限りない貴さに
いつか再演されたときに「シルクロード」は本当に「シルクロード」になるんじゃないかと思うようになりました。
人間の営みが繰り返されているように宝塚もまた永遠に受け継がれ繰り返しながら変化し続いていっています。
やはりスカイステージのステージドアできぃちゃんが「この作品を見て憧れたり目指す子がいると思う」というようなことをお話されていました。
そういう意味でもいつか、この作品を心から愛して宝塚の舞台に立つ未来のスターさんが
何かしらの形で再演するのを見てみたいと、いまは思っています。
ショーの再演を待望する、それもトップコンビの卒業公演のショーの再演を待望するというのを初めて経験しているかもしれません。
これもまた生田先生の観客が自由に楽しむことの範疇でしょう。
雪組「fff/シルクロード」は超絶チケ難で座席制限中はチケット全滅でしたが、その後親友が友情を示してくれてあと2回観劇できることになりました。
大切に見て自由に楽しみ、感じたことを言葉にしたいと思ったらまたこうして書きたいと思います。
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