観劇の感想

マルギットとフロリアンはなぜカールを探しに来たのか

こんにちは、ヴィスタリアです。

星組「霧深きエルベのほとり」を3回観劇して気づいたこと、考えたことがあります。

マルギットとフロリアンはなぜカールを探しに酒場プロージットへ行ったのか?
カールの去ったシュラック家でどんなことがあったのか?

このことについてヴィスタリアの独断と偏見、偏愛のままに感じたことを書いてみます。

マルギットの恋はわくらばの恋か

水夫カール・シュナイダーと令嬢マルギット・シュラックはビア祭りで出会って恋に落ち結婚しようと誓い合います。

急激に熱した恋は反面、急激に冷めやすいものではないでしょうか。

マルギットはフロリアンにこのようなことを指摘されています。

人間はねえ、まごころにはまごころをもって報いてやらなくてはならない。
それが人間の愛情というものなんだ。

君は、お父さんの口から、君を生んだ母親のことを聞いた時から、お父さんへの敵意を失っている。

お父さんへの敵意でこの家を飛び出し、お父さんへの敵意からカールと結びついたのだとしたら、その敵意がなくなったとき、カールへの愛情はどうなってくるのだ。

マルギットはフロリアンを詰り「私はカールを本当に愛している」と叫んでピアノの激しい不協和音を響かせます。

フロリアンの指摘はマルギットにとって図星だったのではないでしょうか。

父への敵意がなくなったときカールへの恋は彼女のなかで変わり、どこか色褪せて熱が冷めた部分があったのではないでしょうか。

「一度散った木の葉を再び元の枝につけて緑に輝くと、君は思うかい? 」

フロリアンがシュザンヌに語った「わくらばの恋」はマルギットの恋心こそがそうなのではないでしょうか。

フロリアンが登場する場面のこのセリフは非常に印象的で、わくらば(病葉)という日本語の美しさにも感服します。

蛇足ですが「わくらば」を調べてみると「病気や虫のために変色した葉。特に、夏の青葉の中にまじって、赤や黄色に色づいている葉」とのことでした。

カールに非道なことをされた後(この場面はカールが一体どんな気持ちなのかを考えるとやりきれません)、マルギットは叫びます。

私は信じない。私は誰も信じないわ。
私自身をも、信じないわ!

マルギットが信じられないのは自分の母親のこと、父親のこと、そして「二人の気持ちはおんなじだった」と純粋な喜びの笑みを向けてきたカールが手切れ金を取って自分を捨てていったことを指しているのだ思います。

そして「私自身をも信じない」という痛切な叫びは、フロリアンに諭された通り母親の真実を知り父への敵意を失い、カールへの想いが変化した自分自身に向けられているのではないでしょうか。

そうでなければこの言葉は出てこないのではないか。
そんなふうに感じました。

フロリアンのまごころ

フロリアンは幼馴染で婚約者のマルギットを「いまでも愛している」と言いながら、カールに嫉妬する素振りを見せません。

フロリアンはあまりに人間ができすぎているように見えて「いったいなにを考えているのだろう」と訝らずにはいられませんでした。

しかし3回目の観劇でフロリアンはマルギットの心の変化を見通し、そのことに彼女が傷つくであろうことも見越しているのではないかと思い至りました。

カールが手切れ金を取った後、マルギットの父ヨゼフは娘にこう言葉をかけます。

マルギット、その男の正体がわかったら、今日かぎり、この一週間のことは、何もかも忘れてしまうことだ。
(中略)気にすることはない、誰もお前を笑いやしないよ。

ヨゼフはヨゼフなりにマルギットを思いやっているのでしょうけれどこの言葉はマルギットのカールへの愛が置き去りになっており、マルギットは受け止められないのではないでしょうか。

しかしフロリアンにはそれがわかっているからこそ(そしてマルギットの愛情の変化さえわかっているからこそ)こんなことが言えるのだと思います。

「僕がいたわってやりたいのは、マルギットの愛情のことなのです」

「人間はねえ、まごころにはまごころをもって報いてやらなければならない。それが人間の愛情というものだ」

「マルギット、僕は君を愛している。だけど、僕は僕の愛している君が、カールの心をもてあそぶ女になることが心配なのだ」

愛情というものを考え抜いているフロリアンですからカールの一芝居にも気づきそうですが、カールを殴ったのはマルギットを傷つけたことに我を忘れてつい手が出てしまったのかなと思います。

マルギットとフロリアンはなぜカールを探しに来たのか

カールがシュラック家を飛び出していった後、シュラック家ではどんなことがあったのでしょうか。

マルギットとフロリアンはどんな言葉を交わしたのでしょうか。

なぜ2人はハンブルグの港までカールを探しに来たのでしょうか。

これは完全に想像ですけれど、舞台では描かれないヨゼフとカールの間でどんな話し合いがあったのかをマルギットが知り、カールの本当の気持ちを知って追いかけてきた…だったらいいなあとヴィスタリアは思っています。

だってカールのマルギットへの愛は真剣で真実のもの、色褪せることのないものだからです。

「幸福になれ、マルギット」――これほど深い愛の言葉があるでしょうか。

しかしカールにはマルギットには見えていない(あるいは見ないことにした)身分の違いがよくわかっていたのでしょう。

手切れ金を取ってマルギットをわざと傷つけるための芝居を打ったとき、カールはレストランでのエピソードを持ち出しました。

この恥をかいたというエピソードは芝居でもなんでもなく、カールの中では動かしようのない真実だったのだと思います。

こうして想像に近い感想を書いてみると、「霧深きエルベのほとり」という作品の深さを感じます。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
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