こんばんは、ヴィスタリアです。
東京宝塚劇場で雪組「fff/シルクロード」を観劇してきました。
座席半減中(2/26~3/7)のチケットが抽選・先行・一般・貸切まで全滅で打ちひしがれていたのですが
仲良しのヅカ友さんが救いの手をさしのべてくれました。
ヴィスタリアの独断と偏見と偏愛に満ちた感想で作品の内容や結末、謎の女の正体に触れています。
「fff」テーマが重なり合う交響曲のような作品
「fff」を最初に宝塚大劇場で見たときはラストシーンに心を激しく揺さぶられながら
作品をどう捉えればいいのか、自分の頭が追いつけませんでした。
大劇場千秋楽のライブ配信を見て「ル・サンク」の脚本を読んだりして自分なりに咀嚼して
「fff」の主テーマは激動の19世紀においてベートヴェン(音楽)とナポレオン(戦術、暴力)をを重ね合わせた物語をゲーテが俯瞰するように語っていることだと思い至りました。
シンプルに明示されているはずなのに
初見では目の前で目まぐるしく展開する舞台機構、凝った映像などを追っているうちに見失ってしまったのです。
この主テーマに第2、第3のテーマが加わって交響曲のように響き合い、通奏低音のように謎の女がいてクライマックスへと高まっていくというのが
いまの自分の「fff」の捉え方です。
第2、第3のテーマというのは
ルートヴィヒの苦難の多い人生であり叶わぬ恋であり、
ナポレオンの台頭と失脚で変化していくヨーロッパの渦巻くような情勢であり、
音楽、芸術とは何のためにあるのか、人が生きるとはどういくことかという問いかけでもあります。
主テーマにはトップスターののぞ様(望海風斗)の退団公演であり、
次期トップスターのさきちゃん(彩風咲奈)との物語を
この公演で卒業される凪様(彩凪翔)が語っていると重ねないのはヅカファンとしては難しいのが正直なところです。
作品と中の人はわけるべきとは理性で思いつつ、卒業公演らしさとそれぞれのスターの場面があることに感じ入ってしまいます。
さらに第2、第3のテーマの中に多くの役が配され、退団者に持ち味にあった見せ場があることは
上田久美子先生の座付き演出家らしい手腕の発揮だと思っています。
ベートーヴェンとナポレオンが重ね合わされていることは
冒頭のルートヴィヒ/望海風斗の登場シーンに凝縮されていることに気づきました。
ルートヴィヒ(以下ルイ)が「もっと強く、ナポレオンのように!もっと大きく、ゲーテのように!」と鬼気迫る勢いで指揮棒を振るとオケピから楽員たちから飛び出し、
大音量が放たれる度に幕には砲弾が爆発する映像がリンクして映し出されます。
またラッパを大砲に模した印象的なオブジェも音楽=戦術を象徴しています。
ルートヴィヒの世界からしばらく姿を消していた謎の女/真彩希帆が携えたナポレオンの銃を弦楽器をつま弾くようにして歌い出すのもそうです。
雪原~夢のシンフォニー~の場面で凍てつくロシアの戦場でルイとナポレオンが邂逅して音楽と戦術が溶けあい
勝利のシンフォニーを共に奏でる高まりへと、それらが導いていっていると感じました。
のぞ様は登場のシーンからその歌声でガーン!と殴ってくるような衝撃で
歌声の圧に客席に押さえつけられるようでした。
特にハイリゲンシュタットの遺書の歌はすさまじい迫力と
燃えるルイの意思にのみこまれそうでした。
(この場面は小さい炎/笙乃茅桜と楽員たちが踊り狂うのもまるで
いま生命が尽きてもかまわないというような気迫で心を動かされました。すごかった!)
のぞ様はまた、失意のどん底でつぶやく「静かだなあ…」が
無音の静寂以上の、寂しさの中に佇んでいるのが印象的でした。
男役としてかっこよく美学を極めているのに留まらず、
ルイの苦悩と高みを目指すゆえの怒りとエネルギーの深い表現に舞台人として芝居が深く魅力的であると感じました。
「ONCE UPON A TIME IN AMERICA」ヌードルス役も男役のかっこよさを超えた存在でしたが、
「fff」は恋愛が主軸にない分一層そう感じるのかもしれません。
いくつかのテーマの裏側にずっと謎の女が存在しえ、
ルイとの恋愛をも対立をも超えた関係性を見せクライマックスの歓喜へと至れるのは、
だいきほ(望海風斗・真彩希帆)の互いに高みへ引き上げ合う関係性あってこそでしょう。
この日ルイの下宿でコーヒーを淹れるように言いつけられた謎の女は手元がぶるぶる震えてコーヒーをこぼしていました。
この2人の不可分かつふしぎな関係を感じるのはルイに「失せろ」と言われてからしばらく姿を消していた謎の女が
再び現れる場面にもあります。
地面に伏すようにうずくまるルイは、聞こえていないはずなのに、背後ですから見えていないはずなのに、
ゆっくりと近づいてくる謎の女を見もせずに「どこ行ってやがった」と言葉をぶつけるのです。
そのくらいずっと、ルイは不幸と一緒にいたんだと感じるやり取りです。
幼いルイが「僕なんて死んじまえ」と喚き
ナポレオンが「人は苦しむために生きている」と言い放ち、
いくつもの苦難に塗れて生きているルイが謎の女と至る境地に心を揺さぶられて涙せずにいられません。
上田久美子先生の作品でトップスターの退団公演で言えば「神々の土地」の方が、
音楽家を扱ったものであれば「翼ある人々」の方が、
ドラマチックかつロマンチックなストーリーが展開するので自分の好みではあります(好きで繰り返し見ています)。
観念的な作品はあまり好きではないと思っていたはずなのに「fffは味わい深い作品だなあ」と何度でも観たくなっていますし、
そう思わせてくれるのはだいきほの雪組だからこそで、
同時代にファンとしていられたこと、観劇できた幸せを感じています。
なおこの日はゲーテ/彩凪翔のシビれるような緊張感とルイ、ナポレオンをも包むように見えている豊かさ、広さを感じました。
またメッテルニヒ/煌羽レオのじ……っと黙しているときの存在感が不穏かつ切れ者であることがちらちら見えて目が離せませんでした。
「fff」と「シルクロード」の照明
宝塚歌劇であまり見たことのない、印象的な照明の演出があります。
「fff」はウィーン会議の指揮の失敗の後、舞台奥の天辺から強く差す5筋の光です。
この光が幾筋も交差して場面が変わるのが強く印象に残っています。
「シルクロード」はキャラバン隊が凪様の「じゃ・あ・ね!」で去ってシルクロードの古今東西の物語からフィナーレへと移るところです。
白く黒い光が闇を割いて、黒燕尾ののぞ様が浮かび上がると背に青い薔薇を持っています。
物語とフィナーレのスウィッチであり青い宝石が薔薇へとなったようでもあり、
また浮かび上がるのぞ様がとても美しいです。
このポーズが初舞台の月組「シニョール ドン・ファン」の紫吹淳さんと同じものであるというのもあって、目と心に強く焼きつきました。
この日は客席も豪華だった
ヅカ友さんからチケットの連絡を受けて歓喜してからはたと「座席制限中だから1階席なんだ」と気づきました。
雪組さんのチケ難のし烈さと自分の予算の関係でこれまでA席、B席ばかり、
S席でも2階しか取れたことがなかったので初めて雪組公演を1階で観劇しました。
17列上手側で、ちょうどナポレオンが銀橋下の階段に長~~~い脚をかけた視線の先に座っていました。
このあたりだと全体を見てもよし、オペラでロックオンしてもよし、見やすいと感じます。
だいきほは目に焼き付けたい、
さきちゃんは見たい、凪様もカリ様もひーこさんのすばらしい踊りもよく見たい
あゆみさん(沙月愛奈)の美にしゅわっち(諏訪さき)の燃えるオーラが視線を奪ってきて目が足りない3時間でした。
またこの日は客席にOGさんがいらしていたようです。
「シルクロード」ののぞ様と凪様のアドリブが絆ポーズにまつわるものだったので
ちぎみゆのどちらかがいらしているのかな?と思ったら
ちぎさん(早霧せいな)でした。
鳳翔大さん
蘭寿とむさんも同じ日に観劇だったようです↓
中詰で組子がいつも以上ににっこにこの笑顔が輝いていて、
特に縦一列に並ぶところでさきちゃんが満面の笑みだったのですが
そりゃあうれしいですよね。
座席は1階席のみの発売で2階席には誰もいないはずなのに
いつも2階席をたくさん見てくれるのぞ様や凪様が遠くを見遣るように、客席を見上げるようにしているのを度々目にしました。
その視線、横顔のなんと美しいことか。
時間を止めて切り取りくらいです…できないとわかっているから貴いのですが。
来週からはその視線の先に満席の客席があることが本当にうれしいです。
大千秋楽まで無事に公演が完走できますように。
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