宝塚

3月11日と宝塚。すべてをかけて舞台に立つ人がいるから。

おはようございます。ヴィスタリアです。

2011年3月11日どこで何をしていましたか?

2011年3月11日14時46分。皆様はどこでなにをしていらっしゃいましたか?

のっけから個人的な話で恐縮ですが(興味のない方は次の項目へ飛ばしてください)ヴィスタリアは日比谷駅からわりと近い会社で仕事をしていました。

当時はライフライン系の会社に勤めていて部署の上から下まで皆が地震には敏感で、揺れると即地震速報をチェックするような環境にいました。

揺れているなあと思ったら、どんどん揺れが大きくなり、慌ててPCのモニターやらデスクの上のコーヒーを押さえたのを覚えています。

テレビをつけたらとんでもない光景が広がっており、何もかもが足元から崩れていくようでした。

津波警報、そして津波の映像に打ちのめされ茫然としながら、地震について膨大な報告書作成と送信に追われました。

電話もシステムも繋がらない中での報告書作成は手作業に頼らずを得ず、徹夜仕事になりすべての報告が終わったのは夜中3時でした。

その後は余震、輪番停電、原発事故といった非日常が日常になり「これからいったいどうなってしまうんだろう」と不安で落ち着かない日々を過ごしました。

9年前は天災で今回はウィルスで事情は異なれど、自粛ムードや同調圧力の高まり、デマの拡散により店頭から物が消える状況など、当時を思い出し同じような気持ちになっていることに気づくこともあります。

宝塚歌劇と3月11日

2011年当時、ヴィスタリアはすっかり舞台や宝塚歌劇から離れておりどういった状況だったのかまったく知りませんでした。

停電があるなかで公演が実施されたこと、生徒さんが募金活動をされていたことは後になってから知りました。

太平洋戦争の公演中断に戦後の劇場接収、阪神淡路大震災などを乗り越えて愛と夢の舞台を届け続けた宝塚歌劇のマインドが引き継がれているのかもしれないと思いました。

2011年当時の状況を思い出すとおそらく様々な葛藤があってのことだったろうと察するに余りあるのですが、当時花組生だったたそさん(天真みちる)が内情を綴った文章を発表されました。

ヅカファン、宝塚歌劇を愛する人すべてに読んでいただきたいと思う文章ですのでご紹介いたします。

読んでいるうちに涙がこぼれました。

文章中の「宮城の実家に帰省中で、なかなか連絡が取れない組子」とはゆきちゃん(仙名彩世)でしょうか。

3月11日のこの日に仙名彩世様が宝塚大劇場最後の日を迎えるおはようございます。ヴィスタリアです。 今日は花組「CASANOVA」の宝塚大劇場の千秋楽ですね。 トップ娘役の仙名...

ゆきちゃんは大劇場ご卒業の日が奇しくも2019年の3月11日でした。

未曾有の大災害、原発事故の後で停電や自粛の続く中、生徒さんたちが東京公演について「お話し合い」をし、公演続行や募金活動のことなどを全員で決めたということを初めて知りました。

劇団の意向などもあるのかもしれませんが、生徒さんの自主的な思い、組子が全員納得してのことであったのですね。

花組生、そして当時退団公演中であったゆうさん(真飛聖)のことを思うと涙が止まりません。

“観劇を心の支えに生きている方がいる。
私は、これから生きていくにあたって、その方々に身を捧げようと、心に決めた。“

たそさんのこの言葉には深く心を揺さぶられました。

舞台を見れば生徒さんが命をかけて、すべてを懸けて舞台をつとめているのがわかります。

だからこそ観劇が心の支えになり生きる支えとなるのだと思います。

もうすぐ宝塚歌劇の公演再中止が決まって1週間、19日には専門家会議をうけての政府発表があるでしょう。

未曾有の事態で日本も世界もどうなるのか見通せませんが、宝塚歌劇の幕が上がりなんのストレスもなく楽しめる日が1日でも早く来ることを祈っています。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
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