映像の感想

月組グランドホテル 宝塚に無いものと宝塚にしかないもの

おはようございます。
海外遠征というか旅行中のヴィスタリアです。
 
※旅行中のためこの記事は予約投稿です。訂正、コメントの返信などは帰国後にさせていただきます。
 
 
今回ヴィスタリアはスイス〜フランス〜ドイツと回る予定です。
ドイツといえばベルリン。ベルリンといえばグランドホテル。
 
というわけで大好きな「グランドホテル」のヴィスタリアの偏愛に満ちた感想を書いてみます。
 

宝塚に無いものと宝塚にしかないもの

月組初演の「グランドホテル」はヴィスタリアは見られませんでした。
当時の「歌劇」などは、リアルタイムではありませんが読みました。
 
かなめさん(涼風真世)のオットーは映像が見られるものなら見てみたい、伝説の舞台の一つです。
 
ヴィスタリアは梅芸トム・サザーランド演出の「グランドホテル」(2016年)を観劇しました。
REDとGREENの2パターンの演出で上演されたうち、ヴィスタリアはGREENを観て、あまりに感動してすぐにチケットを追加しました。
 
REDも観ればよかったと後悔していますし、サザーランド氏の「グランドホテル」再演を熱望しています。
今秋「タイタニック」が再演されるので「グランドホテル」もいつか再演されるのではないかと希望を持っているのですが…。
 
月組再演は主役を男爵とエリザベータ・グルシンスカヤにしたことで、梅芸版と近いように思います。
 
しかし宝塚には無いものと宝塚にしかないものがあるのです。
 

宝塚に無いもの 多様性と暴力、そして分断

ヴィスタリアが見たのはBlu-ray(宝塚大劇場収録)で、実際の舞台や東宝の映像は未見です。
この記事はあくまでもBlu-ray(宝塚大劇場収録)の月組「グランドホテル」の感想になります。
 

人種の多様性 オットーはユダヤ人である

Blu-rayを見ただけではオットーがユダヤ人であることがわかりません。
 
チラシやパンフレット、公演情報にアクセスしなければオットーが病を得た死期の近づいているユダヤ人であることはわからないのです。
 
グランドホテルの支配人はなぜ「満室です」と言ってオットーを追い払おうとするのか。
 
オットーがフラムシェンにダンスを教えてもらいながら「誰も私とは踊ってくれなかった」と言うのはなぜなのか。
 
これらの背景にユダヤ人であることが表現されているかどうかで「グランドホテル」という作品の意味合いはかなり変わってしまうとヴィスタリアは思います。
 
なぜオットーがユダヤ人であることがセリフからカットされたのか疑問に感じました。
 
事情はわかりませんが、もしもスミレコード的にNGだったのだとすれば行き過ぎのように思います。
 
 

暴力 プライジング社長の犯罪

プライジング社長はこの舞台で2つの犯罪を犯します。
フラムシェンへの性的な暴力と男爵の殺人です。
 
フラムシェンへの犯罪は描かれており、フラムシェンのあられもない姿は相当ショッキングです。
(だからこそ、これは見せるのにユダヤ人をカットしたのが疑問なのです。)
 
もう一つの犯罪、男爵を殺害してしまう場面は直接的には観客には提示されません。
 
 

階級の分断

グランドホテルで働く労働者とグランドホテルに宿泊するセレブたちの階級の分断、そして労働者たちの怒りは宝塚にまったく無いわけではないのですが、全面に押し出していないと思いました。
 
梅芸版「グランドホテル」GREENを見ていなければそんなことは思わなかったかもしれません。
また較べるものでもないのかもしれません。
 
しかし若く美しいフェアリーたちの演じる労働者はどこかきれいさが隠しきれておらず、それを補強しているのが食器や台所道具の入ったカゴをガシャン!ガシャン!と鳴らす演出だと思いました。
 
これはいいアイデアだと思いました。
不快な和音が示す不吉な未来を予感させます。
1928年のドイツがどういう時代だったかと思うと外せない要素だと思うのです。
 

宝塚にしかないもの

演出で非常に宝塚的だと思ったのがスポットライトです。
 
男爵とエリザヴェッタがホテルですれ違うところでパッと強いスポットライトが当たり、時が止まったようになって男爵の「美しい人だ…」というセリフにつながるのは宝塚らしいと思います。
 

美しい死と美しい愛のエンディング

エンディングとして、男爵を演じたたま様(珠城りょう)のお披露目公演ということもあると思いますが、銀橋をわたりながら本舞台の組子たちを振り返ります。
この明るい終え方、悲劇を浄化するような幕のおろし方は宝塚らしいと思いました。
 
また男爵とエリザヴェッタの年の差を超えた愛の美しさ、オットーとフラムシェンの間に生まれた慈愛の美しさも、宝塚はより純化されていると感じました。
 
死の描き方もそうです。
”不倶戴天の敵同士”である愛と死がボレロを踊りますが、この死のなんと美しいことか。
 
死のネガティブなイメージ、特に不吉さがなく、美しいものとして描かれています。
 
 

言葉ではない表現 ジゴロと盲目の伯爵夫人

これはぜひ、劇場で観たかったです。
背景にとけこむように踊る盲目の伯爵夫人とジゴロのカップルはセリフはありませんが、多くのことを表現していたのではないかと想像します。
 
セリフのない2人の空気、醸しだすものがどのような効果で舞台をきらめかせていたのでしょうか。
Blu-rayでは2人があまり映っていないためよくわからないのです。
 
おそらくここにも美しい愛があったのだろうと思います。
 
 

翻訳がやや気になる

梅芸版を見たのが2年前(2016年)なのでヴィスタリアの記憶違い、勘違いもあるかもしれませんが、ところどころの翻訳が気になりました。
 
たとえば役の名前も少しずつ違います。
梅芸は「フレムシェン」、宝塚は「フラムシェン」
梅芸は「エリザヴェータ・グルシンスカヤ」、宝塚は「エリザヴェッタ・グルーシンスカヤ」
梅芸は「オッテンシュラッグ医師」、宝塚は「オッテルンシュラーグ」
 
どちらがいいでしょう?
これはたとえばシェイクスピアを誰の訳で読むかというような好みに近いかもしれませんが、ヴィスタリアは梅芸の方が語感が好きです。
 
梅芸版の脚本があるわけではないので詳細な比較はできませんが、ヴィスタリアのなかのイメージでは宝塚版の翻訳はこの役名のように、ややモッタリしていると思うところがありました。
(具体的に挙げられなくてすみません)
 
しかしひとつだけ、これはどうしても見逃せないと思うセリフがありました。
終盤、お縄になったプライジング社長が「手洗いに行きたいんだが」とやや開き直っていうところがあります。
 
梅芸GREENのプライジング社長は血まみれの手を見ながら「手を洗わせてくれ」でした。
 
プライジング社長の人物像が梅芸版と宝塚では異なるにせよ、このセリフの訳し方に関してはヴィスタリアは「手を洗わせてくれ」の方がよいと思います。
 
 
長くなりましたのでキャストごとの感想は次の記事で書きます。
 
 
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