宝塚

阪神淡路大震災を忘れない~26年前の公演中止と「歓喜の歌」

おはようございます。ヴィスタリアです。

阪神淡路大震災と宝塚歌劇

1995年1月17日の阪神淡路大震災から26年がたちました。

当時は子どもで学校に行く前にテレビですっかり変わった神戸の街を見て衝撃を受けたことを覚えています。

大規模な火災、倒壊した家屋、倒れた高速道路…メディアを通じて初めて目の当たりにした大地震でした。

当時は宝塚歌劇の存在さえ知らなかった自分ですが、この翌年に映像で出会いファンとなり
1月17日はまた違う意味で忘れられない日となりました。

このとき宝塚大劇場は花組トップコンビヤンみは(安寿ミラ・森奈みはる)の退団公演中(「哀しみのコルドバ/メガ・ヴィジョン」)でした。

みはるちゃんが当時を振り返っておられます↓

大劇場周辺も被害が出て公演は中止となり、
その後劇場飛天(現在の梅田芸術劇場)に場所を移しての上演となりました。

飛天での公演日程を譲ってくださったのは細川たかしさんでした。

数年前の記事ですががヤンさんが当時のことを振り返っている記事をご紹介させてください。

この記事を読むと宝塚のあたたかさ、生徒さんもファンも愛でいっぱいなのが伝わってきます。

さらに、同時期にトップだった一路真輝天海祐希らが「自分たちの公演日程を減らしてもヤンさんに」と劇団に直談判。

全国のファンからは自発的に署名活動が起こり、震災から約4カ月後の5月4、5の両日、念願の宝塚大劇場で「サヨナラショー」が実現した。

ヤンさんの、みはるちゃんの宝塚大劇場でのサヨナラショーは異例の形で行われたのでした。

現在振付家ANJUとして宝塚歌劇で多くの振り付けをされているヤンさんは
トップスターとしてもスタッフとしても公演中止を経験されたことになります。

昨年は全場約30曲を振り付けた雪組「炎のボレロ」が全国ツアーから梅芸公演として形を変え、
さらなる公演期間の変更を経て上演されました。

休演を経験された身としてスタッフとして関わるなかで特別な思いがあったのでは…と(勝手に)思っています。

なお宝塚大劇場は震災から数ヶ月で星組「国境のない地図」で公演を再開しました。

マリコさん(麻路さき)のトップスターお披露目本公演であり、81期生の初舞台公演でした。

マリコさんがコロナ禍において当時のことを振り返っているインタビューです↓

震災からわずか1週間で集合している星組生のお写真もあります。

戦争・天災・感染症 さまざまな苦難を乗り越えられると信じている

「国境のない地図」のクライマックスというべきシーンでは「第九」が歌われており、
ちょうど26年後のいま宝塚大劇場で上演されている雪組「fff/シルクロード」に思いを馳せずにいられません。

公演時期の見直しを受けてのことですから偶然なのですが、1月17日に宝塚で歓喜の歌が響いていることにふしぎなものを感じています。

この1995年の休演以来、宝塚大劇場は2018年に台風で休演をするまでずっと公演を続けていました(当時の記事)。

それが2020年は新型コロナウィルスの感染拡大、緊急事態宣言により約4ヶ月の公演中止となりました。

天災からの復興は建物やライフラインの復旧など目に見える部分が大きいですが
ウィルスとの戦いはそういった物質的な形でとらえにくく終わりも見えにくく、
緊急事態宣言は再発出となりました。

阪急阪神ホールディングスの決算も非常に厳しく、劇団もまた苦しいことは察せられますが
戦争も震災も乗り越えてきた106年の歴史を持つ劇団です。

なんとか乗り越えてほしいですし、またできると信じています。
そして一ファンとしてできることはしていきたいと思ってます。

劇団にはその力があると思わせる一端が映像にあります。

震災で劇場に行けないというファンの声から舞台映像の販売(当時はビデオテープ)が始まったと耳にしたことがあります。

また2020年においてはスカイステージでの舞台中継放送が実施され
(雪組「ONCE UPON A TIME IN AMERICA」大千秋楽前編、
 花組「はいからさんが通る」大劇場フィナーレ以降、
 星組「眩耀の谷/Ray」東京宝塚大劇場フィナーレ以降)、
ライブビューイングだけでなくライブ配信が始まり定着しました。

このあたりの動きの速さ、柔軟さは劇団のよき特徴ではないでしょうか。

折しも今日はたま様(珠城りょう)のスペシャルライブ「Eternità」のライブ配信があるので
宝塚の地に思いを馳せつつ視聴したいと思います。

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