おはようございます。ヴィスタリアです。
スカイステージで星組「龍の宮物語」を視聴してのキャストごとの感想です。
ヴィスタリアの独断と偏見と偏愛に満ちておりまた作品の内容に触れています。
伊予部清彦/瀬央ゆりあ
まず登場のシーン、傘を持って振り向いた表情の遠くを見遣るどこか夢を見るような表情のすばらしくてこの作品の世界へと誘われました。
やや長めの髪に袴の書生スタイルがせおっちにしっくりとハマっています。
そしてせおっちはこれぞという作品、これぞという当たり役に出会ったのだと思いました。
完成度の高い作品ですからもし他の組で上演したらーーというifを考えたくなりますが、清彦はせおっちを待っていたのだと思います。
身の丈をつましく考え謙虚で丁寧、玉姫の「あれからなにも変わっていないのね」というセリフの通りの好青年がふしぎな運命に導かれる物語を見せてくれました。
せおっちではなく清彦なのは承知の上ですが、冒頭近くの夜叉ヶ池の場面で/お滝/澪のアドリブに笑みをこぼすのはせおっちの人柄が柔らかく滲むようです。
ひかえめな好青年から一転、2幕登場シーンの強い視線もよかったですし、数奇な運命に導かれる清彦の物語に引き込まれました。
夜叉ヶ池と自身の関わり、何もかもを知ってどうなってもいいと投げやりになる場面、そしてクライマックスで見せた深い愛と幕切れの感動的なセリフには特に心を動かされました。
今回初めてせおっちの主演作を見たので(勉強不足ですみません)、本公演のショーのとはまた違う役としての丁寧な歌唱をたくさん聞くことができました。
みりおちゃん(明日海りお )の「春の雪」、たま様(珠城りょう)の「月雲の皇子」のように、
「龍の宮物語」はせおっちのキャリアで長く語り継がれる代表作になると思います。
玉姫/有沙瞳
度々書いていますがヴィスタリアはみほちゃん(有沙瞳)が大好きなのですが玉姫様を見てますます好きになりました。
観劇したお友だちが「玉姫は誰にでもできる役ではないと思う」と感想を観劇直後に送ってくれたのですが、今回映像で見て深く同意しました。
みほちゃんはこの役に出会うためにここにおられたのではーーと運命的なものを感じてしまうほどでした。
クライマックスはほとんど泣いていました。
玉姫が清彦/瀬央ゆりあに頼んだことのなんと悲しいことか。
こんな愛の言葉があるでしょうか。
みほちゃんは声にも個性があると思うのですが、温度を失った冷ややかに澄んだ声と人間の感情がこめられた柔らかい声の一瞬ごとの移行が見事で玉姫が人ならざるものと人の心の間を行き来しているのが繊細に表現されていました。
清彦が翻弄され龍神が嫉妬するのも無理はありません。
またこのみほちゃんの美声は夜叉ヶ池の底の龍の宮へ誘う歌などにも存分に活きていました。
声だけでなく表情の演技もすばらしく玉姫様が登場した瞬間の氷のような表情、目がよく効いていたのが印象的で、もしも劇場で実際に見ていたら背筋が凍りついたやもしれません。
そしていつもみほちゃんのアクセサリーやカツラのセンスが好きで楽しみにしているのですが、今回の玉姫様のヴィジュアルは最高でした。
縦ロールのカツラの和服、中華系(?)の衣裳との調和のさせ方が絶妙で、頭の両サイドに飾った大輪の花が龍の耳(と言って伝わるでしょうか)のようでした。
跳ね上げた目尻のアイライン、朱色の目元が正体を暗示しているようでしたし、つけ睫毛が違うのか瞳がいつもより大きく見えて清彦/瀬央ゆりあを横目で見るときの白眼が効いていました。
娘役さんの白眼、睨みをきかせた横目をこれほど見たことがかつてあったでしょうか。
作品の感想で雨という言葉が想起するものがすっかり変わったと書きましたが、みほちゃんの玉姫の衣裳は朱色が効いていて、朱色という色のイメージも変わりそうです。
また作品の感想で「龍の宮物語」は外部で上演されても違和感のないフラットさ
あると書きました。
その大きな理由にヒロインである玉姫の言葉遣いがあるかもしれません。
人ではないことを表現しているからか娘役らしくない、温度感がないのです。
またこの物語も主役の清彦も重要な役である龍神、山彦も玉姫ーー娘役を中心に動いていること、ヒロインに比重がおかれていることも宝塚歌劇らしくないと(いい意味で)感じた理由だと思います。
そんな玉姫は宝塚歌劇の新しいヒロインでありみほちゃんは見事に演じきりました。
龍神 火照(ホデリ)/天寿光希
あらすじと役を聞いたときは夜叉ヶ池と玉姫/有沙瞳を支配する強い人物を想像していたのですが、みっきぃさんの龍神は病むほどに玉姫に執着していました。
クライマックスではみっきぃさんのかつて聞いたことのない声を聞きました。
それは遠くから囁かれる、脆さを孕み揺れる弱い声でした。
一方で1幕では龍神としての威厳、存在感が舞台を支配しており、酒盛りの遊戯麦摘みで玉姫が「(遊戯の親役を)私がいたしましょう」と言うのを眺め、一段高いところから遊戯を見遣る片身を崩した座り方の存在感にヒリヒリしました。
また弟火遠理/天飛華音の進言を「口が過ぎる」と戒めるときの迫力の恐ろしさに震え上がりました。
そんな龍神が玉姫に執着することで見せた弱さのギャップの落差が凄かったです。
フィナーレのタキシードでの群舞はみっきぃさんの神がかったかっこよさひれ伏しました。
コマ送りにしてどの瞬間を切り取っても「これ」というキメが決まっていて男役の美学があると、みっきぃさんが映る度にうっとり見惚れました。
のけ反る姿勢、伸ばした腕の角度、指先、どこを取ってもため息ものです。
山彦/天華えま
山彦は清彦の書生仲間の一人で清彦の親友、という役どころです。
暑くなるどころか冷んやりするはずの百物語でせわしなく団扇を使っていることに2回目の視聴で気がつき、山彦は汗をかいているのかと背筋がゾワゾワしました。
1幕ではそういうひっかかりを巧みに表現しており、大きなフックになっていると思ったのが清彦が忽然と姿を消したときの「これは当分帰ってこれないかもしれないな」というセリフで余韻を置かずに暗転→音楽→龍の宮へと場面転換されるところです。
暗転で見せ場(宝塚歌劇であれば拍手が入るような)を作りきらないのが新鮮でしたし、山彦のいわくありげなセリフが印象に残りました。
(この余韻のない暗転は玉姫/有沙瞳が清彦/瀬央ゆりあを龍の宮へがを誘うところの玉姫の目が効いた表情を完全な見せ場にせずぶつりと切るところも同様です。)
2幕では髭がお似合いでかっこよかったです。
そして山彦の物語もまたなんと悲しいことでしょう。
清彦よりも「小賢しく」要領よく立ち回っているであろうだけに悲哀が滲みました。
クライマックスに向かってぴーすけが両の頬を濡らしながら心情の込もった歌を歌っていたあたりからほとんどずっと泣いていました。
一転フィナーレで黒髪をラフに撫でつけてタキシードでビシっとかっこよく踊っており、本公演での一層の活躍を見たいと強く思いました。
龍神の弟 火遠理(ホオリ)/天飛華音
兄への執着がドロドロと熱くたぎっていて玉姫に出会い愛するようになった龍神をどのように見てきたのか、
兄弟でうまくやっていたときの火遠理視点からのスピンオフが考られるじゃないかというくらい背景に広がりが見える熱演でした。
カノンくんのイメージとはまったく違う役でしたが、こういう感情の濃さのある役もできるのだと感じました。
その他のキャストたち
◆銀山/美稀千種
うさんくさくて酷くてよかったです(最高に褒めています)。
◆白川鏡介/朱紫令真
1幕と2幕の変化のつけ方に芝居心を見ました。
仕草、佇まいもまるで別人で彼に流れた時間の残酷さを感じました。
お顔の雰囲気がたま様(珠城りょう)に似てる気がしました。
◆島村百合子・雪子/水乃ゆり
両のえくぼがチャーミングなゆりちゃん、髷のように盛った日本髪風のポンパドールの前髪が小さなお顔によく似合っていました。
百合子の「ーーだけれど」という口癖にうまく時代が出ていると感じました。
雪子は明るさがぱっと華やかで百合子との違いが明確でした。
◆龍の宮に仕える者たち
幕開きのしずしずと進んで行く行進からしてなんともいえない不気味さが広がっていくのが画面でもわかるようでした。
この不気味さ、この世のものならぬ不思議さは加藤真美さんの衣裳と調和した凝ったメイクでも存分に表現されていました。
(岡野玲子さんの「陰陽師」を連想しました。)
岩鏡/紫月音寧など1度見たら忘れられませんし、
木蓮/紫りらが指先を朱色に染めているのが秀逸で、
黒山椒道/大輝真琴が文様を入れた中指と薬指を交差させているのは呪いのようです。
龍の宮での歌い継ぎ(都優奈・遥斗勇帆・朱紫令真・きらり杏)は、同時期に「ロックオペラ モーツァルト」で星組の歌唱力がこれでもかと発揮されましたが、こちらにもまだまだいるぞという頼もしさです。
伊吹/紅咲梨乃と笹丸/澄華あまねは102期の娘役さんですね(勉強不足で今回覚えました)。
子どものようでもあり妖怪のようである存在感と表情が印象的でした。
今回こうしてスカイステージで放映されましたし公演中止が続く中で再演を望むのは難しいのはわかっていますし、このキャスト、このチームでこその作品だったのだと思いました。
映像でしか見ることは叶いませんでしたが同時代に名作の誕生を目撃できて幸せです。
大好きな星組の舞台を早く見たいですし、すばらしい作品でデビューされた指田珠子先生の次の作品に大いに期待しています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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