考えたこと

閉会式と宝塚歌劇団について思うこと。

こんにちは、ヴィスタリアです。

今日は宝塚歌劇というよりもオリンピックについてのヴィスタリアの独断と偏見と偏愛に満ちた独り言です。
なお閉会式は未見です。

東京2020オリンピックが終わった

数日前に東京2020の閉会式にタカラジェンヌが登場するというのを週刊文春の見出しで知り(記事は未読です)、気を揉んでいました。

いろいろな意見があるかと思いますが、自分は招致のときから東京五輪に反対で、大会準備が進むにつれて露呈する諸々のことにうんざりしたり悲しくなったり憤ったりして、
コロナウィルスが猛威をふるうようになってからは開催はしてほしくないと思っていました。

もともとスポーツはするのも見るのも好きなのですが、今回のオリンピックについてはいろいろ考えてしまって純粋に楽しむことはできず、開会式も閉会式も見ていません。
競技もほとんど見ていません(自分自身が趣味で取り組み、コロナ禍以前に代表選考会を見た種目は見ました)。

そんな自分はこのイベントに宝塚歌劇が関わり生徒さんが登場することを喜んだり名誉なことだと素直に受け止めることはできないでいます。

もちろん正装の緑の袴に華やかなお着物の生徒さんのお写真を見るとこれぞ清く正しく美しくですばらしいと思いますし、
芸を研鑽されている生徒さんの国歌斉唱も心を打つすばらしいものだったと想像します。

世界的なイベントで大役を任され宝塚歌劇をご存知ない多くの方々にも称賛されていることは誇らしいことでもあるのでしょう。

閉会式の映像は未見ではありますが大きな舞台で大役を無事に果たされた生徒さん、尽力された劇団関係者のみなさまには心から敬意を表したいと思います。

しかしそういうヅカファンとしての思いとは別に、
政治がこういったイベントで象徴的に登場させる人や団体を真に理解し偏見や差別を無くし多様性を認めようとしているかというと疑問を感じることが多く、
現実とのダブルスタンダードにわだかまるものが自分にはあります。

劇団で言えばこれまで緊急事態宣言で公演中止、客席半減、無観客での上演を強いられ、充分な補償もされてこなかったであろうのにこういうイベントには招くのか…ということを考えてしまうのです。

折しも8月、今日は長崎原爆の日で、76年前のことを考えることが多い季節ということもあり、戦争中の演目や慰問のことを思い出す気持ちもあります。

今回のことでもやもやしていたら交流のあるヅカ友さんが「世界的なイベントで劇団が重要な役割を果たすことは阪急阪神ホールディングス内の劇団にとってプラスなのでは」と言っていて、
いいこと探しはしたくないと思っていたのですが、そう簡単に劇団の予算を削ったり規模を縮小することはないのではないかという意味でポジティブなことかもしれないと思いました。

この先劇団にとってどのような形でプラスになることがあるのか一ファンの自分にはわかりませんが、
お忙しい稽古の合間を縫って出演された生徒さん、準備をされた関係者の方々の健康を心から祈ります。

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