こんにちは、ヴィスタリアです。
月組「グレート・ギャツビー」の東京宝塚劇場初日を観劇してきました。
ヴィスタリアの独断と偏見と偏愛に満ちた感想で、作品の内容や役のプロフィールに触れています。
原作が広く読まれたり映画化されている作品、また再演ものということで作品の中身に一層大きく触れています。
「グレート・ギャツビー」宝塚歌劇化という美と救い
フィッツジェラルドの小説もディカプリオ主演の映画も親しんでおり「グレート・ギャツビー」は好きな作品ですが、宝塚歌劇版を見るのはこれが初めてでした。
名曲「朝日の昇る前に」はもちろん何度も、いろいろな方が歌うのを聞いてきましたが、公演は映像の予習もせずに観劇しました。
プログラムの小池修一郎先生の寄稿文の
オリジナルタイトルの「グレート・ギャツビー」には「愚かな生き方をした偉大な男への讃歌」という作者の意図がこめられていると思う 。
という冒頭近くの一文から、小池先生のロマンチックさとこの作品に寄せる愛情が伝わってくるようです。
また映画・映像評論家の萩尾瞳さんがプログラムに寄せられた「新しい風をまとって 三演目の「グレート・ギャツビー」には
小池先生が初演の「華麗なるギャツビー」(1991年雪組)で作った場面についてのエピソードがあり、これにも小池先生のロマンチストぶりが表れています。
それは終幕のジェイ・ギャツビーとデイジー・ブキャナンの別れの場面で、原作でも映画でもジェイのことを振り返らないデイジーですが、
デイジーなりの方法でジェイと訣別する描写があり非常に印象的なシーンになっているんです。
自分は客席で小説とは違うこのジェイとギャツビーの別れに客席で驚きはっとし、そして涙をこぼさずにいられませんでした。
終幕のニック・キャラウェイ/風間柚乃とヘンリー・C・ギャッツ/英真なおきのやりとりがあまりにすばらしくてすでに泣く寸前であったこともあります。
小池先生は宝塚歌劇化、ミュージカル化するにあたって「グレート・ギャツビー」に、ジェイに、一つの救いをもたらしたのだと感じました。
「ONCE UPON A TIME IN AMRICA」のときも思いましたが小池修一郎先生はこれ以上なくロマンチストな演出家で、そういうところ、好きです。
雪組「ONCE UPON A TIME IN AMRICA」の一幕最後など原作映画は非常に暴力的な場面なのを
舞台では真っ赤な薔薇でこれ以上なく美しく飾り立てた、絵のようなシーンになっていました。
月組「グレート・ギャツビー」は全体を通して小池先生の展開のよさ、ミュージカル化としてのすばらしい手腕は言うまでもなく、重ためのストーリーが濃密に、かつテンポよく展開していく舞台はこれ以上なく見応えがあり、ミュージカルを、宝塚歌劇を見たという満足感もありました。
またVISA協賛50作目ということもあって衣装もセットも豪華で美が横溢していて目から幸せでした。
有村淳先生の衣装のすばらしさは言わずもがな、特に靴が凝っていて美しいのが印象的で、いつもの公演とは違う!
OGの麻生あくらさんがファーを提供されています。
有村先生とのツーショットも↓
舞台に置かれた盆の丸いラインに沿って作られた大きな、大きな階段が盆と一緒に回って場面ごとに表情を変えるのには驚きました。
こんなすごいセットが可能なんですね。
プログラムの小池先生によると装置は松井るみ先生の初めての本公演1本物とのこと。
作曲に小澤時史先生、振付にAKIHITO先生と新たな先生が加わって新たな風が吹き込まれているのも外部で様々にお仕事をされている小池先生だからこそでしょう。
どこかでもう新作は書かないという話を見かけたような気がするのですが、2023年の宙組「カジノ・ロワイヤル~我が名はボンド~」も大いに楽しみにしています。
次は役ごとについて書きます!
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