観劇の感想

花組「冬霞の巴里」観劇の感想(指田珠子✕永久輝せあの極上の復讐劇)

こんばんは、ヴィスタリアです。

Brillia HALLで花組「冬霞の巴里」を観劇しました。

ヴィスタリアの独断と偏見と偏愛に満ちた感想で、作品の内容に触れています。

「冬霞の巴里」指田珠子✕永久輝せあの極上の復讐劇

指田珠子先生のバウホールデビュー作星組「龍の宮物語」は映像でしか見ることは叶いませんでしたが、雨の概念さえ変わってしまいそうなくらい大感動して涙を流し、忘れがたい、大好きな別箱作品になりました。

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その指田珠子先生の2作目をひとこちゃん(永久輝せあ)が主演し、指田先生にとってもひとこちゃんにとっても初の東上作品で、
ギリシャ悲劇「オレステイア」を元にした復讐劇で、タイトルが「冬霞の巴里」――発表になったときから作品への期待と観劇への欲望ではちきれそうでした。

三白眼、白眼がよく効いて、鬱屈した思いや孤独、嫉妬や恨みが澱のようによどみ、あるいは昏い炎が立ち上るように燃え上がらせる役が似合う、見たいと思わせる男役がひとこちゃんをおいて他にいるでしょうか。

観劇欲をこれ以上ないほどかき立てられるだけかき立てられ観劇したのですが、期待通りの、期待以上の完成度の高い作品でした。

すごいものを見ていてどこへ誘われどこへたどり着くのか、息をつめて見ているうちに1幕が終わり、その緊張感は2幕も続きました。
フィナーレがあってよかった…緊迫していた心がほぐれてほっとし、うっとりできました。

また劇場で見る喜びのある作品で、劇場から作品世界という異空間へ誘われて、19世紀末の冬のパリに閉じ込められて漂ったまましばらく帰ってこれなくなりそうな感覚がありました。

「龍の宮物語」のときも感じたことですが、指田先生の脚本・演出はとても完成度が高くて、いい意味で「これは宝塚歌劇なんだろうか」というふしぎな感覚を抱かずにいられませんでした。

たしかに宝塚歌劇を見ていて宝塚歌劇ならではの完璧な美しさはあるのですが、
たとえばシアターコクーンあたりで男性と女性の役者がキャスティングされ上演されることを想像したとき、セリフ、衣裳、照明に装置なども含めて宝塚歌劇の世界から移行することももしかしたら可能なのでは…と思えるのです。

「龍の宮物語」では龍の宮に住む者たちーー龍神の兄弟をはじめ龍神に仕える者たちが舞台化粧・衣裳とも人間離れしていて非常によく工夫されていることがその象徴のようでしたが、
「冬霞の巴里」では3人の復讐の女神(エリーニュス)たちの”異様な”出で立ちと存在感パリの底辺を生きる下宿の人々の暗く汚れた舞台化粧が象徴だったと感じました。

(オクターヴ/永久輝せあ、アンブル/星空美咲の黒✕白✕赤(あるいはピンク)を混ぜた衣装の色合いもまた美しいのにどこか不穏さを予感させるものでした。)

こちらの神戸新聞さんの記事の写真、この作品の退廃的な耽美さ、ほの暗さ、不気味さとおもしろさを伝えてくれています↓

1枚目のオクターヴ/永久輝せあの左側の白装束、白塗り(という表現でまとめてしまっていいのか迷うほど異様な舞台化粧、存在でした)の3人は復讐の女神(エリーニュス)の3人です。

エリーニュス ティーシポネー/咲乃深音

エリーニュス アレークトー/芹尚英

エリーニュス メガイラ/三空凜花

Fantasmagorieと銘打たれているのがよくわかる役たちです。

指田先生)Fantasmagorieとは元は18世紀末にヨーロッパで流行った映画の原点のようなもので、暗い部屋で煙などの上に絵を投影して楽しんだという幽霊ショーのことだそうで。
(中略)そこから派生して機会極まる幻想や絵空事も指すようになったそうです。

※「歌劇」2022年3月号 より

公演解説に「復讐の女神達(エリーニュス)が見下ろすガラス屋根の下、復讐劇の幕が上がる…!」とあるように、セットにもガラス屋根がありましたし、不吉に、不気味に、傍観し介入しあざ笑うかようなエリーニュスたちの存在が非常に演劇的でおもしろかったです。

また「龍の宮物語」同様今回も確かにあったものは他にもあって、それは厳然たる言葉の美しさが舞台を支配していたことです。

台詞の言葉の美しさ、重みに打ちのめされて「もう一度聞きたい」「いまの台詞をもう一度なぞりたい」と思うこと度々で、その言葉をここに書き出せたらいいのですがあまりにもこの言葉、この名刺、この形容詞でなくてはという台詞だったのでうろ覚えで書くことができないでいます。

自分は柴田先生の美しい台詞が大好きですが、指田先生もそんな先生になるのかも…と2作目にして思っています。

「冬霞の巴里」は美しい音楽、歌唱に彩られていながら、音楽が流れていない時間、台詞だけで進んでいく時間もかなりあるので緊張感が高くて、集中力もエネルギーも使いました。

モチーフが「オレステイア」、テーマが復讐ということで(非常にわかりやすく解説されている個人サイト様がありましたのでリンクを貼らせていただきます。「世界の神話・伝説waq waq」)、
最初はオクターヴ/永久輝せあ(つまりはオレステス)とアンブル/星空美咲(つまりエレクトラ)の姉弟に心情を寄せるように見ていると、無念の死を遂げた父オーギュスト/和海しょう(つまりアガメムノン)はどうやら清廉潔白でもなさそうで、
2人の姉弟が復讐しようとしている母クロエ/紫門ゆりや(つまりクリュタイムネストラ)から見える別の真実も立ち上がってきて、何が正しいのか事実なのか混乱し歪んで見えてきます。

ラストシーンで姉アンブルに湿度の高い思いの込もった問いかけをするオクターヴと、アンブルの答えもまた真実は、本当のところはどうなんだろう…と考えずにいられませんでした。

この混乱と出ることのない答え、いくつもの”真実”が歪んで見えるような錯覚もまた演劇作品ならでは、劇場で誘われる作品世界に浸れる幸せでした。

長くなりましたので役ごとの感想はあらためて書きたいと思っています。

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