観劇の感想

花組「うたかたの恋」観劇の感想(再演の意義と翼を持つ恋人たちのこと)

こんばんは、ヴィスタリアです。

宝塚大劇場で花組「うたかたの恋/ENCHANTEMENT」を観劇しました。

ヴィスタリアの独断と偏見と偏愛に満ちた感想で、作品の内容に触れています。

マチソワで2回観た限りの、ファーストインプレッション的なものでまだまだ気づいていないこと、見落としていることなどあると思います。

また台詞などは記憶できた限りのニュアンスで正確なものではありません。

花組「うたかたの恋」再演の意味

好きな演出家の先生は、と聞かれたら芝居なら柴田先生と正塚先生の名前をまず挙げる自分ですが、
花組が本公演で「うたかたの恋」を再演するというのはあまりピンと来ていませんでした。

れいまど(柚香光・星風まどか)、それに
マイティー(水美舞斗)
ひとこちゃん(永久輝せあ)
ほのかちゃん(聖乃あすか)
と真ん中のスターさんたちが全国ツアーで柴田先生の
「哀しみのコルドバ」あるいは
「フィレンツェに燃える」
を経ています。

「フィレンツェに燃える」はみなさま出演されてました。

いくら柴田先生の作品が好きでも、そろそろ違う先生の、再演以外の作品を花組で見たいという気持ちを隠すことはできませんでした。 

何度も再演を重ねている「うたかたの恋」ですが劇場で観たことはなく、
映像でもちらりと見たくらいで柴田作品の代表作でありながらあまり思い入れも抱けず、今回も特別予習をしないで観劇しました。

1 回目はややぼんやりしてしまって冗長かなあ?と思ったりしたのです。

音楽の無い台詞だけで展開する重苦しい場面があったり、
セリがほとんど使われていないからかもしれません。

ほとんどの場面転換がカーテン前と盆回しだったように思います。

が、2回目は確かに古典的な作品ではあるもののとても味わい深く、柴田先生の言葉の美しさ、心情の深さ、交錯する役たちのドラマティックなストーリーに没入しました。

ル・サンクを買って脚本を読みたいですし、過去の脚本と読み比べたいと思っています。

演出の小柳奈穂子先生はかなり手を入れておられるのかなと思いますが、プログラムの寄稿文を読むとこれがまたいい方向であったように思います。

「うたかたの恋」は極めて政治的な話でもあります。
第一次世界大戦前夜のきな臭い時代に、ルドルフとマリーはそこから背を向けて愛を追求しました。

一方、柴田侑宏先生は1932年生まれ。(中略)
歌劇の公演プログラムのアンケートで、心に残った風景は?という質問に「玉音放送を聞いた焼け野原の駅前の風景」をあげていらっしゃいました。

そういう経験をなさった先生が作り上げた華やかな舞台、そして愛というテーマはもう一つ深いレベルで立ち向かうべきテーマはなのではないでしょうか。

だからこそなのかもしれませんが、なんて不吉で不穏で死の気配がまとわりつくような「うたかたの恋」であり
ルドルフでありマリーなんだろうと思いました。

愛を争いと政治と死の側から浮彫にしている作品なのでしょう。

そもそも2人の運命的な遭遇の場で上演されている劇中劇バレエ「ハムレット」は悲劇で、
振付の中でもハムレットがオフィーリアに「尼寺へ行ってしまえ!」と酷く罵るのがわかるにもかかわらず、
マリーはオフィーリアに憧れを抱くのです。

あのように親しくあのお方のお傍にいられたら…

劇中劇のハムレットは髑髏を持っていますし、
ルドルフもまた髑髏をデスクに置いていてマリーを怯えさせます。

しかしマリーは

(髑髏を持つルドルフに)そうしていると墓守りとハムレットみたい

と無邪気に言ってみせるのです。

ルドルフに盲目的な愛を寄せるマリーですが、果たしていつから死を予感していたのだろうか……と考えずにいられません。

頻出する「狩り」という単語もまた不穏で不吉です。

ルドルフの友人ホヨス伯爵が

(マリーについて)あのお嬢さんなら白兎か牝鹿か

などとあまり趣味のよくない冗談を言って、
結末を知っている者としてはヒヤリとします。

また作品冒頭の、大階段に赤絨毯を敷いてのルドルフとマリーの

来週の月曜日、旅に出よう

あなたとご一緒ならどこへでも

から始まる名曲「うたかたの恋」ですが、劇場で観て初めて気づいたことがあります。

歌の最後の「♪うたかたの、うたかたの、うたかたの、こ〜い〜」のところで
ルドルフは白い軍服の、マリーは白い長手袋の両腕を後ろの方へ広げて上半身をのけぞらせいます。

互いに抱擁するにしてはずいぶんと大仰な振りだなあ…なんて映像では思っていたのですが、
あれは双頭の鷲の翼であり、自由に翔び立つ前に狩られた者の翼を象徴していることに初めて気づきました。

実際にルドルフとマリーがこの、後ろにのけぞって広げた両腕を後ろに伸ばしたところで2発の銃声が響いてプロローグは終わります。

また大階段に敷かれた赤絨毯にも双頭の鷲が描かれており、舞台装置にも双頭の鷲と翼のモチーフ用いられていました。

プロローグの後は1989年1月26日の在ウィーンドイツ大使館の舞踏会になりますが、
舞台は時を巻き戻してルドルフとマリーの出会いからこの舞踏会に至るまでの9ヶ月の様々な人間ドラマを描いて再び舞踏会の場面がリフレインされます。

このリフレインの前に様々な立場の役たちが勢ぞろいして
「♪あの鷲は羽ばたいた」といったことを歌います。

迫力のある大勢の歌声は迫ってくるものがありました。

そして9ヶ月のドラマの中で、ルドルフは身分違いの恋人同士で新しい世界を目指すジャンとミリーに

ハプスブルクを出るには羽ばたく力をくれるかわいい恋人が必要だ。

といったようなことを言う台詞もあります。

なおかつやはり身分違いの恋人同士であるフェルディナンド大公とソフィーには

君にまでかわいい恋人がいたなんて。

ジャンとミリーの、羽ばたくことのできる関係性を踏まえた台詞を投げかけています。

今回の「うたかたの恋」は

・羽ばたくことを自らやめたルドルフとマリー

・全てを捨てて羽ばたいたジャンとミリー

・羽ばたこうとして翼を奪われるフェルディナンドとソフィー(サラエボ事件)

という3組のカップルの話だったのだと思いました。

だからこそ最後のジャンとミリーが声を重ねるようにして力強く言う台詞が胸に迫ってくるのだと
客席で感じました。

目から何か溢れそうになりながら、どうかジャンとミリーには新しい世界で幸せになってほしいと、
自由に羽ばたくことのできたであろう2人が「我々は」と声を合わせて信じたことを、自分もまた信じたいと強く思ったのです。

以上、花組「うたかたの恋」初見の感想でした。

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