考えたこと

見続けてこそわかるものもある(ヅカファンのブランクを悔いる)

こんばんは、ヴィスタリアです。

ヅカファンのブランクを悔いる

スカイステージで生放送された「DAIaMONd night」で89期の初舞台、下級生時代の映像がたくさん流れました。

録画を見返しつつ胸に浮かんだのはどうして自分はヅカファンを一度やめてしまったんだろう後悔に似たものでした。

ヴィスタリアは1996年~2004年くらいに第一次ヅカファン時代を過ごしました。

最初のころはインターネットもなかったです、後半登場したSNSはmixiで特にヅカファンでつながることはなく、
学生でしたので時間もお金もありませんでした。

いまのお若い方はミクシィをご存知ない方も大勢いらっしゃいますよね、きっと。

チケットを取る方法も電話しかなくてプレイガイドに電話をして取れれば観劇する、あとはNHKとBSの映像とキャトルレーヴで買うビデオが頼りでした。

ビデオは途中でDVDになりました。

ヅカファンをやめたのは大好きだった月組トップスターリカさん(紫吹淳)の退団で燃え尽きた感がありました。

なんの巡り合わせか前楽のサヨナラショーまで観られて放心してしまったといいますか、
大学が忙しくなったり就活に追われたりしたのもあります。

10数年というブランクを経て100周年ころからときどき宝塚を思い出したりOGさんのファン活動を再開し、
2018年に「カンパニー/BADDY」で美弥るりかちゃんに出会いヅカファン復帰しました。

こうして振り返るとヅカファンの区切りも再開も月組でした。

ここからるりかちゃんの退団までは寝ても覚めてもというくらいのめり込んでいましたが、
2021年のいまは少し落ち着いて高熱に浮かされていたのが平熱くらいになったような気がします。

生放送で89期のスターたち(明日海りお・美弥るりか・望海風斗・七海ひろき・凪七瑠海)が勢揃いしていたICHIGOICHIEの映像が流れたときに
「ああ、このときの熱い気持ちはいまはない」と感じ、あのときにしかなったものがあるのだとたまらなかったです。

平熱になって思うのは宝塚歌劇は自分の生活や心身あっての趣味なのだから完全に離れてブランクを作ったりせず、そのときの距離感でゆる~くでも見続けていればよかったという悔いのようなものです。

ゆるくとも、遠い距離があったとしても、これだけすばらしい舞台芸術なのですから
その時々で救われたり支えられることだってあるでしょう。

よく14歳と17歳で聞いていた音楽はずっと聞くとか、出会った趣味はまたはまるとか言いますけれど
自分の場合はどちらも宝塚でした。

この趣味がこうじて大学の演劇専攻の授業を履修し(自分の専攻は別でした)、古代ギリシャからシェイクスピア、ブレヒト、チェーホフ、オペラ、歌舞伎などに触れられたのも大きかったです。

なぜブランクを悔いているかというと、もし2004年でファンをやめていなかったら
89期の下級生時代も見られたはずですしあのスターさん、このスターさんの現役に間に合いました。

またいまブランクをスカイステージで埋めようとしているのですが
映像だけ見てもそのときの組の雰囲気や組編成、組替えや流れ、文脈のようなものがわからないからです。

文脈というのは生徒さんの歩み、成長のストーリーといってもいいのかも知れません。

それは単独としては存在しえずそのときの組や出演者、あるいは同期や近い期の生徒さんの関係も無視できないものだと思うんです。

なのでどんなにゆるくても、なんとなくでも、そのときの距離感や熱量でファンとして見続けることで得られるものがあると感じています。

またブランクがあるとトップコンビあるいは現在芸事で活躍している方でないと
どなたなのかわからないことがあります。

番組表にお名前が載るのも主演コンビだけ、あるいは2番手までです。

見続けていればそういうこともないでしょう。

そういうわかりやすいところにお名前がないと忘れてしまう、わからないというのはあまりに惜しいし悲しいので、
自分の観たこの時代の○組で、あの作品の●●という役で素晴らしかったというのは積極的に語り継いでいきたいとも思います。

そんなことを考えた祝日でした。

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