観劇の感想

「タイタニック」航路には愛があふれていた(青年館観劇の感想)

こんばんは。ヴィスタリアです。

先日観劇した舞台「タイタニック」再演を観劇した感想です。

2015年初演も観劇しているのですが、当時の記憶はやや曖昧でヴィスタリアの少ない脳みその容量を恨みながらこれを書いています。

あまりにも感動し、それだけで充分なのではないか、言葉にする意味があるの?そもそもできるの?と自問しつつ、記録として残したいと思い、書くことにしました。

新進気鋭のサザーランド氏の演出が冴えわたる

初演よりも舞台の完成度が高くなりおもしろくなっているとヴィスタリアは思いました。

洗練され、研ぎ澄まされ、メッセージが明確になっているように思いました。

そう思った理由は物語の展開がスピーディーになったことが大きな要因なのではないでしょうか。

初演時に比べて短くなったシーンがあるように思うのですが、これはヴィスタリアの記憶違いかもしれません。
(具体的には出航前の船主イスメイ、設計者アンドリュースのやりとり、事故後のイスメイの裁判がそぎ落とされたように思うのですが…違うかもしれません。)

このスピード感には装置の転換とキャストの早変わりも大きく貢献していることは間違いないでしょう。

「タイタニック」に出演者しているのは22名ですが、舞台に登場する役は22人ではありません。

全員がメインキャストをつとめながら何役もの“名前のない役”をこなしています。
多い人ではなんと6役も演じているのだとか。

ものすごい手際のよさでセットが転換し、多くの人々が衣裳を早変わりさせながら入れかわり立ちかわり舞台に登場するので「こんなにたくさんの人が出ていたかしら?」と勘違いしそうになります。

ヴィスタリアの永遠の贔屓ヤンさん(安寿ミラ)もメインのアイダ・ストラウス以外に、幕開きは事故後にのうのうと生き残った船主イスメイに怒りをぶつける女性を演じていました。

また3等客の女性も演じ、麦わら帽子に飾り気のないこざっぱりとしたワンピースを着ていたりしました。

豪華客船を四方八方から眺め、船内を自在に移動する装置がすごい!

舞台に据えられたのは船のデッキです。

客席から見ると豪華客船タイタニックの一部になっているのがわかります。
このデッキに左右の袖につながる階段があることで空間が多重的に広がります。

また可動式の階段がくるくると向きを変えながらデッキのあちこちにジョイントされることで、装置自体は変わらずとも船のいろいろな場所をいろいろな方向から見ることができました。

このスイッチングの見事さは一種の至芸だとヴィスタリアは思いました。

一等客室の豪華なディナーを見ていたと思ったら三等客室の騒がしい食堂に早変わりしたり、石炭をくべるボイラー室、モールス信号(でいいんでしょうか?)で通信を送受信する部屋になったりするのです。

圧巻は2幕の船が沈没し設計士アンドリュースが亡くなるシーンです。
甲板の柵の動きと照明、音で船が垂直になって沈み彼が亡くなるのが表現されていました。

しかもここで生き残った者と亡くなった者の入れ替わりが明示されて、こんなことを思いついて実現するサザーランド氏の頭のなかはいったいどうなっているんだろうと感心しきりでした。

美しい音楽と歌にこめられた魂に心揺さぶられる

モーリー・イェストン氏作曲の美しいメロディの数々、そしてたしかな歌唱力で聞かせてくれるキャストの皆さまがすばらしいです。

でも一番はなにより歌にこめられたキャスト一人ひとりの心が伝わってくることがこの「タイタニック」のすばらしいところだと思います。

どんなに歌がうまくても心の、本気の心の入っていない歌で感動することはできません。
「うまいな」と思って、ただそれで終わりです。

今回の「タイタニック」のキャスト全員が、それぞれメインキャストの持ち歌はもちろんのこと、合唱やアンサンブル、すべての音楽にこの舞台で伝えたい心をこめて、命をかける思いで歌っているのが伝わってきました。

そうでなかったからこんなにも涙はこぼれなかったでしょう。

なにをかくそう、ヴィスタリアはオープニングなら泣いていました。

名もない役、あるいはメインどころの役を演じるキャスト一人ひとりがありありと生きている幕開きから、タイタニック号の悲劇を知っている身としては涙腺があやしかったです。

しかしオープニング最後の合唱が高まるところで涙腺が決壊、涙が止まらなくなってしまいました。

そして2幕、船の沈没が始まってからはほとんど涙々で、客席のあちこちからすすり泣きが聞こえました。

心に残った場面1 沈没前からタイタニック号には愛があふれていた

2幕は船が沈み初めて、誰が救命ボートに乗るのかという話が進んでいきます。

愛するものたちの別離に胸が苦しくなり、涙せずにはいられません。

このことは見る前から覚悟していたのですが、今回の観劇で船が沈む前からタイタニック号には恋と愛があふれていたことに気がつきました。

「秋」というナンバーに合わせて様々がカップルが告白したり愛を確かめたり修理したりするのです。
(この曲がまたよくて、2幕でリフレインされるとまた涙が……)

特に印象的だったのがアリス・ビーンとエドガー・ビーンの夫妻です。

エドガーは金物屋を経営しており、ビーン夫妻は2等客として乗船しています。

しかし妻アリスは1等客に興味津々、また彼らの世界に自分から近づき並び、彼が享受しているものを自分も手に入れようとします。

そんなアリスをエドガーは「まず自分の持っているものから楽しむことを始めたらどうだ」とたしなめますが、アリスは聞く耳をもたず、1等客たちが躍り楽しむ特別なダンスパーティーに乗り込んだりします。

夫から痛いところをつかれ、しかし自分の感情を抑えきれずに一人で甲板にいたアリスをエドガーが強引に抱きしめ唇を奪います。
このシーンのエドガーはとても情熱的でした。

アリスが本当に求めているのは1等客のセレブな身分ではないし、エドガーはそれを与えられるわけでもないし、でも一番大切なものってこいうことでしょう?それを行動で示したエドガーでした。

心に残った場面2 生き残った。そして音楽は消えた。

船が沈没した後、舞台には1枚の幕がさっとおろされます。

そこにはタイタニック号の悲劇で犠牲になった方たちの一人ひとりのお名前が記されています。

この幕の前で生き残った人々が独白をつないでいきます。
沈没したときのタイタニックの様子が生々しい言葉で綴られ、聞いているのが辛くなるほどです。

そのなかで一つ、忘れられないセリフがあります。
ニュアンスですが思い出しながら書いています。

まるで暗闇のなかに巨大なサッカー場があるようだった。

ものすごい悲鳴だった。

30分ほどして悲鳴が聞こえなくなったとき、申し訳ないけれど、ほっとした。

あの悲鳴は一生忘れることができないだろう。

このとき、この舞台で流れ続けていた歌と音楽が止みます。

忘れがたいシーンでありセリフでした。

とりあえず舞台に関して思い出せるかぎり、書いてみましたがあの感動を書ききるには力及ばずでした。
キャストごとの感想も書いてみたいのですがうまく書けないかもしれません。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
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