観劇の感想

宙組「群盗」原作を読んで、観劇して思ったこと

こんにちは、ヴィスタリアです。

先日日本青年館で宙組「群盗」を観劇しました。
なんと 前から2列目という信じられないような席で初めてオペラグラスを使わずに宝塚歌劇を見ました。

興奮しすぎてやや記憶があやしいですが、ヴィスタリアの独断と偏見と偏愛に満ちた感想です。

なお盛大にネタバレしており、作品についてやや辛口かと思います。
そしてそのほとんどが原作を読んだが故に感じたことであります。

宙組「群盗」は若者たちの爽やかで熱い舞台

いつも拝読している方のブログで読んだのですが、「群盗」チームは非常に若く、ほとんどが新人公演を卒業されていない生徒さんなんですね。

しかし実際の舞台を見て「下級生ばかり」とは思いませんでした。
演技、歌、ダンスの質も高い上に気持ちがこもっていて、見ているこちらも熱くなる、そんな素晴らしい舞台でした。

またキキちゃん率いる群盗たちが志に燃えていて爽やかで、この座組にぴったりだったのではないでしょうか。

主演のキキちゃん(芹香斗亜)、上級生のきゃのんさん(花音舞)、りんきらさん(凛城きら)が支えリードされたものも大いにあるでしょう。

小柳先生の手腕が光るキャラクターのアレンジと創出

ヴィスタリアはシラーの原作を岩波文庫で読んでから観劇しました。
1958年出版という翻訳の古さに馴染めはしませんでしたが、非常におもしろく読みました。

小柳先生は宝塚歌劇で「群盗」を上演するにあたり、うまく原作を変えていると思いました。

◆群盗たちに革命、世直しを志す思想のある若者という爽やかさを加え、悪事を美談とした

◆ヘルマンをアマーリアの叔父とすることで筋をわかりやすくし、キャラクターを肉付けして演じ甲斐のある役にした

◆リーベという娘役2番手の役をつくった

1つ目は非常に重要で、いかに理由があれど群盗たちの行いは犯罪行為ですから、啓蒙思想などを取り入れつつ、搾取される側を救うためという大義名分を強く印象付けることは必須だったと思います。

浅薄なヴィスタリアには出典の全てはわかりませんでしたが、 革命に関する何かしらの名言をうまく取り入れていたと思います。

なかでも耳に残ったのがこの言葉です。

革命とは暴力である。一つの階級が他の階級を打ち倒す、激烈な行動なのである。

検索したところこれは毛沢東の言葉のようです。
その他、マルクス、レーニン、チェ・ゲバラの名言が使われていたようです(twitterで教えていただきました)。

2つ目のヘルマンは、原作にも登場しますがキャラクターも設定も異なっています。
小柳先生はヘルマンを生まれつき脚に障害のある、モール伯爵の弟として描きました。

原作ではフランツがこのようなセリフを言っています。

なぜこのおれは、長男となって、母親の胎内を這い出なかったのだ?なぜ一人子に生まれなかったのだ?

なぜまた自然は、おれに醜さの重荷を背負わずには置かなかったのだ?(中略)
自然の奴めが、あらゆる人種の中から、醜さのかぎりを山ほど掻き集めて、まるめて焼いたのがこのおれだ。

舞台のフランツ/瑠風輝は金髪の貴公子でしたが、小柳先生は原作のこの醜さをヘルマンに移し、そして黒幕をもヘルマンに移しています。
(原作ではフランツが全てを仕組み、ヘルマンを動かしています。)

3つ目は原作では女性はアマーリアしか出てこないのをうまく改変していると思いました。
カールの母親についても同様です。

ただ娘役さんたちが踊るグーテたちは突然出番がなくなったり突然出てきたり、唐突すぎるのではないかとも思いました。

舞台がドイツということでベートーヴェンを中心としたクラシック音楽も効果的で、オリジナルの歌もかっこよくかったと思いました。

キャラクターとエピソードをもう一歩詰めてほしかった

一方で「原作を残してほしかった、活かしてほしかった」と思ったこともあります。

これはヴィスタリアの趣味、考え方であって小柳先生の解釈やお考えと一致しなかったのかもしれませんが、上記のように改変が功を奏した面がある一方で、エピソードが削ぎ落とされキャラクターが美化され、「群盗」という原作の持つ魅力がやや弱くなったのではないかとも思いました。

特にフランツとアマーリアが原作から感情の動きや激しさ、エピソードが削ぎ落とされ、美しくはありましたが、ドラマとしてやや弱くなったように思いました。

原作のフランツは非常に腹黒く出世欲が強いだけに、2番手どころとして黒っぽい役を期待していたのですが、原作に比べるときれいに描かれすぎているように感じました。

原作でフランツは父モール伯爵の命を縮めるための策略を練りながら独白します。

こうしておれは、一撃また一撃、嵐また嵐と、あいつ(※父モール伯爵)の脆い命を突き崩してゆく。
やがて、(やさしく微笑む過去の記憶、花咲く未来などの)女神たちの行列の最後にあらわれるものはーー絶望だ!

計画はなった、これほど難しい、これほど手の込んだ計画がどこにある。

解剖学者のメスにかかっても傷痕ひとつ、毒に爛れた斑(ぶち)ひとつ、見当るものか。

長いセリフの極々一部ですがなんと激しい復讐心、そして激烈で痺れるような言葉たちでしょうか。

これ以外にもフランツはモール伯爵を追い詰めアマーリアを自分のものにしようと迫ったり、ある意味惹きつける力を持ったキャラクターなのです。

この原作のフランツの闇をヘルマンに移行したからこそヘルマンという人物が魅力的になった面はありますが、フランツの闇ももう少し残してほしかったと思うのです。

またアマーリアは終幕でカールに「殺して」と迫るほどの激しさを秘めた女性です。

しかしこの結末は、アマーリアからカールへの愛や2人の間にあったものが鮮明でない唐突に聞こえはしないでしょうか。

そしてアマーリアの最期は非常に存在感のあるヒロインとして見せ場になるのですから、そこに繋がる伏線となる場面がもう少しあってもよかったのではないかと思いました。

たとえばフランツに結婚を迫られて剣を抜くところと最後が二重写しになるとアマーリアがどんな女性なのか一層伝わったのではないでしょうか。

唐突さという意味でもう一つ気になったことがあります。

カールとアマーリアの関係の描かれ方が薄いのか、2幕になってからカールが「アマーリア、俺の恋人」と焦がれていてもたってもいられなくなるのがやや唐突に感じました。

だってカールがライプツィヒの大学へ留学することになって動揺し詰り、大切な指輪を渡すアマーリアの女心をわかっていなかったカールが突然、「アマーリア、俺の恋人」となるんですよ。

原作ではカールとアマーリアは相思相愛で四阿で歌うギリシア神話をモチーフにした詩が何度も出てくるくらいなのです。

これをごっそりカットして「ジャスミンの香る四阿」という描写だけにしてしまうのは勿体ないように思いました。

言葉の選び方、美しさのある脚本

観劇は一度きりでしたし脚本が手元にあるわけではないので正確には書けませんが、決めセリフといいますか言葉や歌詞の美しさは光っていたと思います。

今こそ、おれたちは自由だーー諸君!おれはこの拳の中に大軍の力を感じる。
われに自由を与えよ、しからずんば死を! 1人たりとも、敵に生け捕らせてなるものか!

これは原作のカールのセリフですが、これよりももっとかっこいいカールと群盗たちが誓い合うセリフがあり、こういう言葉にはビシビシ痺れました。

革命の名言といい、こうした言葉やセリフの選び方は秀逸だと思いました。

長くなりましたのでキャストについては次の記事で書きたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
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