おはようございます。ヴィスタリアです。
生徒でありスターでもある アドバイス、ダメ出しは難しい
スカステ難民で定期購読しているのも宝塚GRAPHだけという、宝塚歌劇に夢中でありながら舞台以外の情報に乏しいヴィスタリアですが、
乏しい情報のなかで最近特に気になったのがみりおちゃん(明日海りお )のスターが自分で自分を律する厳しさについての話です。
たとえばちなつさん(鳳月杏)との対談(宝塚GRAPH月号)
そしてみりおちゃんご自身のラストインタビュー(宝塚GRAPH11月号)
タカラジェンヌは何年在団しているか、スターシステムの立ち位置に関わらず「生徒」と呼ばれ、生徒間の年功序列は絶対的なもの、そして座付演出家やスタッフは「先生」と呼ばれます。
この呼称と小林先生の「芸又芸」という教えからタカラジェンヌはなにかしらアドバイスやダメ出し、指摘をされているものとぼんやりと思っていたのですが、みりおちゃんの言葉からするとそうではなさそうです。
入団以降研5までは試験がありますから採点、評価され、研7までは新人公演という勉強の場があるわけですが、それ以降学年が上がりスターになっていくと周囲は下級生の方が多かったりして、
なかなかダメ出しをされたりということは無いのかもしれません。
それを裏づけるようだと思ったのが元星組のOGしーらん(壱城あずさ)が七海ひろきさんとの宝塚スタートークです。
しーらんが「この学年の子に言いづらい、どうしよう」と躊躇したことを七海さんがさらりと伝えていた、というエピソードが明かされています。
七海さんの「取り入れるか入れないかはその人次第だから、言うことにした」という言葉になるほどと思いました。
またしーらんと七海さんは「新公を卒業したころから(周囲からのアドバイス)をつまらないプライドで遮断しがちだった。もっと学年が上がると言ってほしくなって」ともお話されていいました。
比べるものでもないのかもしれませんが民間企業でも入社以降年数が経つにつれ、至らぬところがあったとしても誰からも何も言われなくなるという状況はあるでしょう。
「このくらいのことは言われないでも気付いてほしい」と思うこともあれば、自身を省みて言ってもらえることのありがさが身に染みることもあります。
なぜこんなことを書いているのかと言いますと、座付演出家の先生方へのダメ出しはあるのかとふと思ったのです。
宝塚歌劇の上演作品にはクリアすべき一定水準があってほしい
生徒さんには研5まで試験があり、研6からタレント契約となり、なにかしらの評価を受けていますが、では座付演出家の先生はどうなのでしょう。
踏み込んで言うなら上演作品のクオリティの審査はなされているのでしょうか。
スミレコードのチェックなどはあるのかなと思いますし、企画会議などあるようですが、客席で観ていて「果たしてこれは上演に値する演目なのか」と思うことがあります。
別箱の芝居は上演時間2時間、出演者30〜40名で作りやすいのかそのように思うことは比較的少なく、逆に「これは名作(良作)だ。観劇できて本当によかった」と思い満足感いっぱいで劇場を後にすることが多いですのが、本公演の2本立の芝居で頭を抱えることが多いです。
70〜80名の出演者、スターシステムがあるなかで1時間半で心を打つ芝居を作るのは難しいのは察せられなくもないのですが、宝塚歌劇はこの上演形態で長くやってきたわけですし2本立ての芝居の名作だってあります。
ヅカファンに復帰してこの1年半近く、2本立ての本公演の芝居でこれらを観劇しました。
石田先生「カンパニー」
小柳先生「天は赤い河のほとり」
谷先生 「ANOTHER WORLD」
柴田先生「凱旋門」
原田先生「MESSHIA」
田渕先生「異人たちのルネサンス」
上田先生「霧深きエルベのほとり」
齋藤先生「夢現無双」
石田先生「壬生義士伝」
小柳先生「GOD OF STARS」
植田景子先生「A Fairy Tale」
10数年ぶりにヅカファンに復帰して一生懸命生徒さんの顔を名前を覚えながらの観劇で、贔屓が、トップスターが卒業した公演もありました。
そしてこうして列挙していみると「もう一度見たい」と思う作品の少なさに寂しい気持ちになりました。
「夢現無双」以外は1〜3回しか観ておらず、ヴィスタリアの理解が至らないのかもしれませんが、作品の世界に没入することができず客席で興醒めしてしまうこともありました。
「夢現無双」「壬生義士伝」など原作ありものの作品では長い原作のまとめ方、アレンジの仕方に疑問を感じました。
「夢現無双」はまるで大河ドラマのダイジェストのような短い場面の連続にすっかり醒めてしまい、
「壬生義士伝」は原作の型を踏襲だけはしているものの活かしているとはとても言えず、鹿鳴館の場面が浮いてしまってもったいなかったです。
このあたりは観劇の感想でつらつら書いていますので興味がありましたらご覧ください。
客席で置いてけぼりに遭ったとしても、これらの作品は立ち返る原作があり補完ができるのと原作は破綻していないので矛盾はさほどないのがせめてもの救いです。
一方、現在上演中の植田景子先生「A Fairy Tale-青い薔薇の精-」は立ち返り補完する拠り所もなく、脚本で語られないこともあり、矛盾や回収されていないエピソードもあって、正直に言うのなら「これは上演すべき水準をクリアした脚本なのか」という気持ちを抱きました。
なので上演するにあたり作品の水準審査のようなものはないのか疑問に思ったのです。
ヴィスタリアの第一次ヅカファン時代(80〜−90周年ころ)にも客席で置いてけぼりになった作品はあります。
「夜明けの序曲」「ルートヴィヒ2世」「望郷は海を越えて」などなど……「望郷」は最後の観劇作品になりました。
当時は自分の環境が変わって観劇どころではなくなってしまった状況と好きだったスターさんが次々と退団していった寂しさ、虚無感などもあり、作品の出来があまりにも酷くて「もう、宝塚はやめよう」と思ったのです。
「ルートヴィヒ2世」は植田景子先生の作品です(2000年花組)。
あれから19年経っているのですね……とつい棒読み気味にこの文章を打ち込みましたが、生徒さんと同じく演出家の先生も在団年数が上がっていくにつれて誰もダメ出しされない状況になっていくのでしょうか。
一ヅカファンが知る由もありませんが、「先生」と呼ばれる身であってもベテランであっても、せめて脚本に矛盾や破綻がないかくらいのチェックはしてほしいです。
人気絶頂のいまはいいけれど
宝塚歌劇が高い人気をほこりチケット難公演が続いているいまはいいのかもしれませんが、レベルの低い作品の上演が続いては求心力は低下するのではないでしょうか。
少し前にこんな調査結果がありました。
調査期間は今年の7〜8月でした。回答された方がどの作品を観劇された上での回答だったのか非常に気になります。
また人気の要因が一本物の海外ミュージカルばかりでは悲しいです。
基本の本公演、1時間半のオリジナルの芝居と55分のショーですてきな夢を見させてほしい、そして宝塚歌劇のすばらしさとして胸を張れるものであってほしいです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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