観劇の感想

月組「ピガール狂騒曲」作品の感想と、男役たちのロケット

こんばんは、ヴィスタリアです。

東京宝塚劇場で初日を迎えたばかりの月組「WELCOME TO TAKARAZUKA」を観劇してきました。

WTTに続いて「ピガール狂騒曲」の独断と偏見と偏愛に満ちた感想で、作品の内容に触れています。

SNSの感想などを見ていると好評、好意的な意見が多い中で辛めのことを書くのは気がひけるのですが、
こういう感じ方をする者もいるということで書きます。

作品と原田先生がお好きな方にはごめんなさい。

「ピガール狂騒曲」ロケットに男役揃い踏み!

まずは楽しいことから書きますね。

大劇場では106期生が初舞台のロケットを披露しました。

東京宝塚劇場は出演者の人数制限で下級生が少ない上にロケットの次がたま様(珠城りょう)と娘役さんたちの場面なので
かなり学年が上の男役さんがロケットに参加しておられるのです。

蓮つかさ
佳城葵
朝霧真
蒼真せれん
英かおと
朝陽つばさ
蘭尚樹
風間柚乃
空城ゆう
彩音星凪
礼華はる
甲海夏帆

以下、下級生はAとBの入替りとなります。

いやー、すごかった!楽しかった!です。

百花沙里先生の振付はピックアップも多くテクニカルで初舞台生は大変なのではと思っていたのですが
さすが上級生、見せまくるし決めまくるので目が足りません。

みなさまニコニコ笑顔でトリコロールカラーのかわいい衣装を着ておいでですが、背も高くてスタイル抜群、長い脚の美しいことといったら。

センターのおだちん(風間柚乃)は笑顔で脚を上げていますが、
振り向いて決める瞬間の表情が完全に男(役)。

ギリくん(朝霧真)の首筋も脚も美しさ、
やすくん(佳城葵)の笑顔、
うーちゃん(英かおと)ぱるくん(礼華はる)の超絶スタイルにはほれぼれでした。

ピックアップで「クルンテープ」に続いてまおまお(蘭尚樹)の余裕綽々のキープをたくさん見られたのもうれしかったです。

その後の黒燕尾で大階段にスタンバイしたロケットのメンバーは額に大粒の汗が光っていて
大変なことをされているのだなと胸を打たれました。

人数制限下の苦肉の策なのでしょうけれど客席にはうれしいサプライズでもあり、
完成された作品を簡単に変えることのない宝塚の矜持に称賛を送ります。拍手!!

「ピガール狂騒曲」は「十二夜」なのか

ここから先、「ピガール狂騒曲」の作品について辛めのことを書いています。

原田先生がプログラムに寄せている文章は二段組という文字数の多さで熱量の高さに驚きます。

同時に緊急事態宣言が出てから劇団がいかに試行錯誤を重ねて感染対策をしながらの公演を実現したかがうかがえる文章です。

「WELCOME TO TAKARAZUKA」の植田紳爾先生の文章同様、こちらも多くの宝塚歌劇を愛する方々に読んでいただきたいです。

また作品そのものについてはこんな解説がありました。

華やかなりし(ベル・エポックの)時代のパリの興奮と熱狂、光と影、個性豊かな人物たちの虚と実を、
シェイクスピア喜劇の代表作である「十二夜」の枠組みを借りてレヴュー仕立てのミュージカルにしたのがこの作品である。

まさに枠組みを借りただけで、シェイクスピアの「十二夜」のおもしろさと騒動、恋の喜びと切なさが十分にあっただろうかと首をひねってしまいました。

あらすじと見どころが梅芸「十二夜」にありました。

双子の兄妹セバスチャンヴァイオラの乗る船が、見知らぬ土地イリリアの沖で遭難した。岸にたどり着いたものの、兄は溺れたと信じて絶望するヴァイオラは、護身のために兄の服に身を包んでシザーリオと名乗り、オーシーノ公爵に仕えることにする。

そのオーシーノが恋をしているのは、父と兄の喪に服している伯爵家の若きオリヴィア
彼を拒み続けるオリヴィアに想いを伝えてもらおうと、オーシーノはシザーリオを使いにやる。

オーシーノに恋心を抱くヴァイオラは切ない気持ちを抱えオリヴィアの元へ向かうが、オリヴィアシザーリオを本当の男性だと信じて恋に落ちてしまう。

一方で、ヴァイオラの双子の兄セバスチャンが現れる。
奇跡的に助かった彼は妹と同様にイリリアの街に着き、そこで偶然にもオリヴィアと出会い……。

そしてオリヴィアに密かに恋する執事マルヴォーリオに仕掛けられた悪戯が、物語をさらなる狂騒へと駆り立ててゆく。

ネタバレ込の詳しいあらすじはwkipediaがわかりやすいです。

「十二夜」ではヴァイオラ=男装してシザーリオ(ジャンヌが男装してジャック)⇢オーシーノ公爵(シャルル)⇢オリヴィア(ガブリエル)⇢シザーリオという
恋の矢印の一方通行が作品の軸になっています。

ヴァイオラ(シザーリオ)がオーシーノに「女の恋は自分の恋ほど苦しくはないだろう」と言われ、
オーシーノへの想いを隠しながら切ない恋情を託す名セリフもあります。

夏目漱石がこれこそが恋であると絶賛したセリフを松岡和子さんの訳でご紹介します。

でも私は知っていますーー女の愛がどんなものかを、痛いほど。
私の父に娘が1人おり、ある男を愛していました。
仮に私が女で、相手が公爵様だとしたらきっと同じ想いだったでしょう。

(妹の恋がどうなったのかを公爵に問われ)白紙のままです。自分の恋を誰にも告げず、
胸に秘め、蕾にひそむ虫にような片想いに薔薇色の頬を蝕ませたのです。
やがて悩みにやつれ、病み蒼ざめた憂いに沈み、石に沈んだ「忍耐」像のように悲しみに微笑みかけていました。

これこそ本当の恋ではありませんか?
我々男はもっと口に出したり誓いを立てたりしますが、本当は心にもない見せかけばかり。

シェイクスピアの名言「恋はまことに影法師」もいいですけれど、
できればこちらの「十二夜」のハイライトと言うべきこの恋の一方通行と性別を隠しての切ない片想い場面を入れ込んでほしかった…。

これがあればジャンヌ(ジャック)が実は女性だとわかったとき、異性愛者のシャルルが自然と恋愛対象として愛しく思う流れ生まれ、
ラストシーンが説得力のあるハッピーエンドになったと思うのです。

ジャンヌ(ジャック)がシャルルにだんだんと惹かれていくのは描かれているのでわかるのですが、シャルル側からの描き込みが足らず、
ガブリエルが好きだったのでは?とラストシーンの唐突さが気になりました。

また「ピガール狂騒曲」ではガブリエルを既婚者としたことで恋の一方通行は薄れました。

一方でガブリエルに夫ウィリーのゴーストライターという性差と仕事のテーマが加わったのであれば
男装をして生きることになったジャンヌ(シャルル)ができるようになったことも描かれていると一層よかったのではないでしょうか。

女であることの不自由と不都合が描かれていながら終幕のセリフが「男でも女でもどっちでもいいわ」は鈍感のように思います。

女であることで悔しい思いをしてきたガブリエルがそんなことを言うでしょうか。

ガブリエルが一目惚れしたジャンヌと同じ顔のヴィクトールの唐突とも言える求愛をすんなり受け入れるのは顔さえ同じならいいのではなく
短い邂逅のなかでも「ヴィクトールなくては」という強い確信あってこそだと脳内で補完しながら見ていました。

そういう意味でも「どっちでもいいわ」はそぐわない気がします。

シェイクスピア劇の役どころの少なさをどう解決するか

シェイクスピア劇は「ロミオとジュリエット」がそうであるように登場人物が少なくて本公演でやるには役が足りない、
特に娘役の役が少ないのが懸念事項だと思います。

これまでも「十二夜」「ヴェローナの二紳士」などを元にした作品が上演されてきましたが小劇場公演がほとんどです。

ミュージカル「ロミオとジュリエット」は役替り祭りですが、娘役の役替りは次の星組公演ではありません。

「十二夜」を元に本公演で上演するにあたり、この役どころの少なさが解決されていなかったのは
座付き演出家としてもう一歩がんばってほしいというのは望みすぎでしょうか。

役どころを増やせなくて、ショーシーンで見せ場を作ればいいだろうという安直さで
舞台をムーラン・ルージュに移しただけなのでは?というのは穿ちすぎかもしれませんが…

ムーラン・ルージュの踊り子たちの大カンカンは圧巻のハイライトになっていますが
ありちゃん(暁千星)うみちゃん(海乃美月)というスターの魅力を引き出すあて書きが見たかったというのが正直な気持ちです。

キャストごとの感想は次に続きます!

読んでいただきありがとうございました。
はげみになりますので応援していただたらうれしいです。
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